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■三島由紀夫って過大評価されすぎじゃね?■

1 :吾輩は名無しである:2011/06/30(木) 14:26:57.02
過剰な修飾語と、くどい心理描写、逆説的なアイロニーを
ちりばめて耽美的、虚無的雰囲気を演出してるだけだな

2 :吾輩は名無しである:2011/06/30(木) 14:29:21.10
あと激的な死に方したからな
普通に生きてたら今みたいに評価されなかったのでは?
まあそれが狙いだったのかもだが

3 :吾輩は名無しである:2011/06/30(木) 14:36:06.51
と過剰反応するバカ>>1

4 :吾輩は名無しである:2011/06/30(木) 14:46:42.67
糞スレ立てるな
三島スレでやってろ

5 :吾輩は名無しである:2011/06/30(木) 14:46:59.09
美とか唯識とか観念的な話をいれることで
頭よさげに見せる手法も嫌いだな
ハッタリで勝負するところは村上春樹とよく似てる

結構、だまされる人がいるんだよな

6 :吾輩は名無しである:2011/06/30(木) 14:54:51.40
      O
        o           池  と
         。         沼  思
        / ̄ ̄\      で  う
      /  ノ  \\     あ
      |  /゚ヽ/゚ヽ |.    っ
     . |   (__人__) |    た
       |  |'|`⌒´ノ  |
     .  |.  U      }
     .  ヽ       }
        ヽ     ノ
        /ヽ三\´

7 :吾輩は名無しである:2011/06/30(木) 15:00:31.83
>>5
たかが小説ぐらいのことで、勝負とか、だまされるとか言ってムキになって、頭大丈夫?

あんたがいやなら、読まなきゃいいだけの話でしょ。

8 :吾輩は名無しである:2011/06/30(木) 15:05:57.26
>>7
お前にはムキになってるように見えるのか?

9 :吾輩は名無しである:2011/06/30(木) 15:09:24.20
>>7
というかムキになってるのはお前じゃねーかw

10 :吾輩は名無しである:2011/06/30(木) 15:12:34.15
スレ立ててムキになってないとねえ

11 :吾輩は名無しである:2011/06/30(木) 15:16:53.56
>>5
三島も春樹も物凄いナルシストなのも似てるな
どっちもルックスは微妙だけど、体鍛えて肉体美を誇示したがる
顔は三島のほうが大分マシではあるけど

12 :吾輩は名無しである:2011/06/30(木) 19:36:35.67
問題は作品に力があるかどうかだよ
そして仮面の告白にはそれがあると思った

13 :吾輩は名無しである:2011/06/30(木) 21:29:45.64
>>1
悔しかったらお前が書けよ。

14 :吾輩は名無しである:2011/07/01(金) 20:01:15.82
確かに平野敬一郎の亜流って感じしかしない

15 :吾輩は名無しである:2011/07/02(土) 04:55:47.80
過大評価されていたのはせいぜい60〜70年代まで、それ以降はあまり文芸面では評価されていない。
褒められていないと言うわけでは無い。存在自体無かったことになりつつある。あと>>7はどこにでも顔出すな。
せめて三島と同世代の作家を網羅的に読め。話はそれからだ。低脳。


16 :吾輩は名無しである:2011/07/02(土) 09:21:17.48
むしろ過小評価です

17 :吾輩は名無しである:2011/07/02(土) 20:37:20.07
死んでなかったら今頃
大江健三郎と石原慎太郎を足して2で割ったようなポジションだったんかなあ?
最近はとんと読まれなくなったよね
でもああいういかにもな硬質な文体が当時は新鮮だったんだろうな


18 :吾輩は名無しである:2011/07/02(土) 20:55:01.00
性的に屈折した猟奇的な変人のはしりでもあるな
こういうのが格好良いと思われてた時代
今でも、そういう傾向の人はいるけど
太宰と本質はそっくり
あえて行動は逆をやってるけどね
二人とも他人を道連れにして、死を大々的に演出しちゃうほど
自己愛と自己顕示欲が肥大してた人

でもこの死を怖れないほど突き抜けた部分はある意味凄いよな
突き抜けた変人
後輩の大江と春樹は俗物のなかの俗物って感じだしな

文学なんてしょせんハッタリとパフォーマンスなんだし
そういう意味では大成功した人だよな
でもやっぱり時代を超えて読み次がれないのは、ドストエフスキーとかみたいに
本質的に人の心をえぐるようなものが欠けてるんだろうな
本物ってのはシンプルなものだしな、三島のはあまりに修飾で誤魔化しすぎてる
修飾で文章を飾るのが文学と思われてた時代だったからね
まあドストエフスキーみたいな世界的な文学者と比べるのはあれだけど

19 :吾輩は名無しである:2011/07/02(土) 20:58:50.28
大江と村上春樹のパクリとハッタリは三島とは手法が違うけどね
三島は修飾で飾る、大江、村上は何も考えてないのを考えてるように装うのが得意
こういうのはいい加減卒業しようぜ
ドストエフスキーとかトルストイとか、本当に良いものは単純に面白いんだよな

20 :吾輩は名無しである:2011/07/02(土) 21:25:24.95
>>17
死んでなかったら、と仮定すること自体が無意味。
その死も含めてのその人の人生、文学、その人の哲学だから。
そんなこともわからないなら作家を批評する資格なし。

21 :吾輩は名無しである:2011/07/02(土) 21:30:22.89
>>19
卒業したきゃ、あんたが勝手にすりゃあいいだけ。そんなもん卒業とも思わないけどね。
洋楽かぶれのバカと同じに見えるだけで。

22 :吾輩は名無しである:2011/07/05(火) 16:27:25.52
今だとこっぱずかしくて読めない類の小説だな
時代なんかねえ?

23 :吾輩は名無しである:2011/07/05(火) 17:21:56.55
普通に面白く読めるけどね。

24 :吾輩は名無しである:2011/07/28(木) 06:14:27.36
面白いと思うし、言葉のチョイスの絶妙さは素晴らしいと思うのですが…

25 :吾輩は名無しである:2011/07/29(金) 06:20:49.33
松浦寿輝ごとき無能無才が最近作の小説『不可能』で
カリカチュアライズするほど、過小評価されてますがw


26 :吾輩は名無しである:2011/07/29(金) 06:35:05.61
異常に修飾過多な不自然な文章だろ
後期になってだいぶ洗練されたけど

痛い文学青年の典型だけど、その痛さふくめての面白さだな
決して洗練された小説とはいいがたい

27 :吾輩は名無しである:2011/07/29(金) 06:43:32.12
>>26
痛い文学青年なんて世間にはごろごろしてるんだがなw
痛い東大教授なら、やりたい放題ですか?w
松浦は洗練されてないどころか、ただの甘やかされた愚か者だろうw

28 :吾輩は名無しである:2011/07/29(金) 18:04:21.28
あの顔を思い浮かべるとほとんど読む気がしない
生理的に受け付けないて点では石原と双璧をなすわ

でも『美しい星』は面白かったし、ちょい感動したW

29 :あの名無しがすごい!:2011/07/30(土) 02:25:45.47
このスレタイは考えさせられるね

30 :吾輩は名無しである:2011/07/31(日) 09:56:43.95
特に過大評価もされていないのに、反日朝鮮人もどきには過大評価に写るんですね。

31 :吾輩は名無しである:2011/07/31(日) 19:05:23.30
前の都知事いわく、おかまのヒステリー

32 :吾輩は名無しである:2011/07/31(日) 20:24:56.21
ああ前の都知事って、北朝鮮スパイ釈放嘆願書に署名した売国タレントね。

33 :吾輩は名無しである:2011/07/31(日) 20:28:07.08
三島君ほどの作家は100年か200年に一人しか出てこない。

「豊饒の海」は、三島君の作品の中で最高の価値がある。

川端康成

34 :吾輩は名無しである:2011/07/31(日) 21:32:09.76
代作の総合商社の川端に言われてもなぁw

35 :吾輩は名無しである:2011/07/31(日) 22:28:30.88
じゃあ、文才の全くない>>1の類いの輩につべこべ言われてもねえ。

36 :吾輩は名無しである:2011/08/01(月) 09:49:30.74
寧ろ過小評価だろ。

村上春樹なんかが評価されるなら三島由紀夫も評価されて良い筈。

37 :吾輩は名無しである:2011/08/02(火) 02:02:36.79
まあ似たようなもんやね。通俗小説とライトノベルやから。

38 :吾輩は名無しである:2011/08/02(火) 16:58:09.99
二人とも似てるよな
自意識をゴリ押ししてくる感じが
作品自体は決して知性的な感じはしないけど

39 :吾輩は名無しである:2011/08/03(水) 02:03:51.66
死に方のせいで三島は過小評価されてると思うが

>>38
三島の評論読んでこい今すぐに

40 :吾輩は名無しである:2011/08/03(水) 03:30:34.53
逆でしょ。事件のせいで過大評価されてる。

事件そのものも当時の国内評価は、「おかまのヒステリー」(青島幸男)
こういう評価が昭和の間は長く続いた。
右翼でさえ三島を白眼視して持ち上げるということはなかった。

海外で勘違いした評価が高まるにつれ、日本国内でも三島を利用しようという
人たちが現れた。しかし、それもごく近年の現象。平成に入ってから。




41 :吾輩は名無しである:2011/08/03(水) 09:44:05.79
>>40
海外の評価なんか何の関係ないよ。
まさにそういうあんたのようなとんちんかんな見方をするバカが三島由紀夫を過小評価しているから、
ちっとも過大評価になってないし、それどころか逆に黙殺されてるし。
少しでも三島由紀夫の名前が出ると、過大評価だとか、あんたの妄想でしょう。

42 :吾輩は名無しである:2011/08/04(木) 23:43:59.51
昭和の時代、三島を評価してたのはホモの人たちだけですよ。
それも小説ではなく、写真集。


43 :吾輩は名無しである:2011/08/06(土) 14:23:26.31
>>2
作品について言ってるんだっつの。まぁ自殺して
売名したんだがな。>>40の言う通り平成不況に入ってから勘違いの輩が増えた

44 :吾輩は名無しである:2011/08/06(土) 14:25:32.43
葉隠なんかに影響されてる時点でダメ
三島を神格化させ無きゃいけない何かがあるね。

45 :吾輩は名無しである:2011/08/06(土) 15:37:44.48
と、昔のサヨクが火消しに必死

46 :吾輩は名無しである:2011/08/06(土) 19:28:18.17
右翼はホモなんか評価しない。
身長160cmの虚弱児で、徴兵不合格じゃしゃれにもならん。


47 :吾輩は名無しである:2011/08/06(土) 19:56:10.88
程度の低い批判しかできなくて、個別作品について具体的に何の批評できないのは、日本語の文学を読む力がない反日外国人だからですね。
可哀想に(笑)

48 :吾輩は名無しである:2011/08/06(土) 20:15:45.23
バカのおまえが言うことではない。


49 :吾輩は名無しである:2011/08/10(水) 21:05:57.93
ほら、男色三島が、美輪明宏のために書いた脚本での映画だとよ。

http://freemoviefree.blog31.fc2.com/blog-entry-5735.html

50 :吾輩は名無しである:2011/08/10(水) 21:07:33.04
さらにホモ三島が主演した憂国映画だとよ。

http://freemoviefree.blog31.fc2.com/blog-entry-5734.html

51 :吾輩は名無しである:2011/08/21(日) 01:22:45.98
>>3
過剰でもなんでもねえよ。
どこに目がついてんだじじい

52 :吾輩は名無しである:2011/08/21(日) 01:24:35.42
>>40
絶対的な評価なんてねえよ

53 :吾輩は名無しである:2011/08/21(日) 20:36:32.18
松本徹(司会):三島さんは、どんな印象でしたか。
本野:非常に頭のいい人でした。特に文学に関しては並ぶ者がいない。
六條:それは、誰もが認めてましたね。
(中略)
松本:三島さんは、戦争中でありながら一種の文化言論活動のようなことをやっていますねえ。
本野:それは彼が反抗的気質だったとか、周りの者に動かされてということではなかったと思いますよ、文化とか
言論とかに対して純粋な気持ちがあって、それを学校の中で実現しようとしたら、ストップがかかったという
ことだと思います。(中略)
佐藤秀明(司会):この一連の出来事に関連してだと思いますが、この時期の平岡公威はだいぶ感情が高ぶっていて、
総務部総務幹事を辞めたいと清水先生に手紙でぶちまけています。
六條:そういう手紙が残っているんですか。清水先生とはツーカーでしたからね。僕らには見せない顔を見せて
いたんですかねえ。

本野盛幸、六條有康「同級生・三島由紀夫」より

54 :吾輩は名無しである:2011/08/21(日) 20:37:13.51
松本:(三島は初恋の園子と)学習院の友人の妹として知り合って、手紙のやりとりをするようになり、彼女の
一家は軽井沢に疎開するんです。(中略)そこへ三島が、主人公がですね、訪ねて行くんです。それで旧軽井沢の
ゴルフ場で接吻をすると書かれています。だけど、この恋愛は実らずに終わってしまって、三島はずいぶん
苦しんだようです。だから戦後は、辛い出発をしなければならなかった。
本野:まあ、あの当時でもそういうことはあったでしょうね。これは僕個人のことなのだけれども、一学年下に
黒田っていうのがいたでしょ、黒田一夫。その妹と僕が恋仲になって、だけど彼女が亡くなってしまったんだ。
それはショックでね。昭和二十年頃だったんだけれども。そのとき平岡に話したのかな、よく覚えていないけれども、
彼からお悔やみの手紙をもらったんですよ。なくしてしまったんだけどね、残念なことに。それがことのほか
よい文章でね。自分のことがあったあとだから、ああいう手紙が書けたのかなっていまちょっと思いましたね。

本野盛幸、六條有康「同級生・三島由紀夫」より

55 :吾輩は名無しである:2011/08/21(日) 20:38:38.10
佐藤:(三島は)高等科では総務部総務幹事になっていますでしょ。四人の幹事のうちの一人です。集会などで
号令をかけたり、挨拶したり、そういう点では目立っていたのではないですか。
本野:いや、そんな記憶はないですね。目立つということは、彼の場合はほとんどない。
松本:高等科で、さっき話の出たお芝居を書いてますね。それで演出もしている。そういう点では、ある面の
中心的な存在だったのではないですか。
六條:それはね、小説や演劇のこととなれば、彼の右に出る者なんかいないんですよ。その点ではもう別格。
それだけはみんなが一目置いていた。
本野:成績もね、僕らがどんなに勉強しても絶対に一番にはなれなかった。全然違うんですよ、彼の一番は。
記憶力とか理解力とか群を抜いていた。二番を引き離した一番だったんです。ましてや文学に関しては全く
次元が違う。
佐藤:ということは、性格的にリーダーになるとかいうのではなくて、お芝居となれば、身につけたものや才能で
平岡を据えるのが当然だということになっていたと、こういうことなんですね。
六條:ええ。

本野盛幸、六條有康「同級生・三島由紀夫」より

56 :吾輩は名無しである:2011/08/21(日) 20:39:12.94
本野:彼は優れすぎているというか、異なりすぎているということですよ。それで彼は優越感をもつとか
そういうのでなくて、自然に優れていたということでしょうね。
松本:三島の側から言いますと、外務省なり文部省なり社会に出て仕事をしている人たちがいて、自分はもの書き
という特殊な立場にいて、何というかコンプレックスのようなものをもったのではないか。文学者というのは、
本当の意味での一人前の社会人ではないんじゃないかという意識ですね、そういうものがあったのではないか。
本野:彼とは割と簡単に話もできたし、間に垣根があるという感じでもなかったんですよ。でも、彼は自分の
世界を持っていたんですね。
松本:いや、石原慎太郎との違いということにもなるかもしれませんが、実社会の中で何かをするという意識を
ずっともっていたのではないかと思うんです。(中略)
(そして、その)行動が象徴性のレベルになってしまう。芸術家の行動というのは象徴性というところへ
行かざるをえないんじゃないかな。

本野盛幸、六條有康「同級生・三島由紀夫」より

57 :吾輩は名無しである:2011/08/21(日) 20:41:45.65
じゃね(笑)とか言ってる言語崩壊バカがなにをほざいてんだよゴミが

58 :吾輩は名無しである:2011/08/22(月) 18:28:16.03
三島も徴兵検査合格していたら。自殺することなっかたのに思います。
親が、裏から手をまわしたことを、彼は知っていたと思います。
それが、負い目になったのではないでしょうか。

59 :吾輩は名無しである:2011/08/22(月) 19:32:53.31
>>58
三島の親にはそんな権力ないよ、残念ながら。

60 :吾輩は名無しである:2011/08/22(月) 19:57:12.06
徴兵検査には合格しているんだが。
そもそも>>58の文章がおそ松君なんだな。タイプミスがあるにしても、
読点の打ち方とか、全体のリズムとか、とにかく消防くさくて怪しい。
ひょっとして、偽日…おっと、これ以上書くとヤバそうだw

61 :吾輩は名無しである:2011/08/22(月) 19:57:48.95
>>58
それから、何か勘違いしてるようですが、徴兵検査は合格してますよ。
手を回してたら合格してないと思います。

62 :吾輩は名無しである:2011/08/22(月) 22:58:42.83
三島は不合格(最低合格ランクで待機組?)で、やったーそれ逃げろと親といっしょに小躍りして帰ったとか。

ま、オカマの虚弱児や。

63 :吾輩は名無しである:2011/08/22(月) 23:33:34.25
>>62
徴兵検査はちゃんと合格してます。
よく知りもしないで、ネットや駄本の捏造偏向情報つかまされた外人はんでっしゃろ(笑)

64 :吾輩は名無しである:2011/08/23(火) 01:32:42.27
三島由紀夫は世界的作家だろう。
文豪だよ。
それと「褌」が似合う男だよ。
http://007.shanbara.jp/mensfashion/html/cbeb7cf2bdaccbeca50f528f/

65 :吾輩は名無しである:2011/08/23(火) 09:59:19.44
徴兵検査第二乙種で合格ですね。身長足りなかったのかな。
まあ、合格は合格ですね。
敗戦直前徴兵されたが、医者の誤診で即帰郷ですか。なんかあやしい。

66 :吾輩は名無しである:2011/08/23(火) 10:07:17.80
第二乙種じゃ不合格といったておかしくない。その当時、世間的にはね。
三島もそう感じていたろう。あくまでも想像ね。

67 :吾輩は名無しである:2011/08/23(火) 14:15:53.54
>>56続き
松本:これは僕自身の気持ちが入っているのですけれども、少年のときから文学の世界を目指して、それで
文学の中でやってきたんですが、いまの歳になると一種の空しさみたいなものを感じるんですよ。実業の世界で
生きている人は、何か世の中に痕跡を残していて、小説家がやってきたことと言えば言葉をただ並べただけだと
いう空しさですね。そんなものが三島にはあったのではないか。空しさをあえて突き抜けてみせるという意志が
あったように思います。
本野:空しいという感じは超越していたと思うなあ。(中略)あれが彼にとって自然な姿だったんじゃないだろうか。
昔彼と話をしていても、全く偉ぶった感じがしない。そのまま別の世界にいるという感じだった。あなたもそうでしょ。
六條:うん、そう。平岡は平岡でしたよ。それでいて我々とは全然違うんだ。それがすごいことだとみんな
感じているんだけれども、学校ではね、そういうことは小さなことだったんです。頭がいいとか、文学をよく
知っているとかは。

本野盛幸、六條有康「同級生・三島由紀夫」より

68 :吾輩は名無しである:2011/08/23(火) 14:16:51.42
松本:この間、演劇で三島と関わった和久田誠男さんの話を聞いたんですが、宇宙人じゃないかと思ったと
言ってました。会っているときはそうは思わないけれども、家に帰って三島さんのことを思うと宇宙人としか
思えないと言うんです。いまのお話は、そういうところと関係しますね。三島さんのそういう面が現れるのは、
高等科からですか。
六條:そうねえ、中学のときはたわいもない子どもでしたよ。むしろ北条浩の方がずっと弁が立ったし、
理屈っぽかった。
佐藤:北条さんというのは、創価学会の会長になった人ですね。
六條:ええ、学習院を終えて海兵に行って。北条はよく平岡に食ってかかって、口論というか口喧嘩をしていましたよ。
松本:三島というのは、やっぱり天才と言うしかない人だったと思うのですが、それがどういうところで
形成されたのか、そこが知りたいですね。
六條:それはね、清水先生の感化ですよ、清水先生にもそういうところがあったんです。

本野盛幸、六條有康「同級生・三島由紀夫」より

69 :吾輩は名無しである:2011/08/23(火) 14:17:17.28
六條:岩田先生も(三島に)目をかけたでしょうが、岩田先生や佐藤文四郎先生は、清水先生とは違いましたね。
(中略)「輔仁会雑誌」に書いて清水先生に認められ、「文芸文化」に小説を発表することになるのですけれども、
あの清水先生に認められ可愛がられたというのが、大きかったんだと思いますよ。
佐藤:なるほどねえ。三島由紀夫がいたから清水文雄がいたんじゃなくて、清水先生がいたから三島由紀夫が
いたということですね。
六條:「輔仁会雑誌」に平岡の書いたものが載るでしょ。われわれからすれば平岡のが載るのは当たり前だと
思っていましたよ、平岡もそんなふうでしたよ。だけど、僕らには、彼の書くものが分からないんだ、難しくて(笑)。
松本:清水先生を読者だと思って書いていたんでしょうね。
六條:だから、僕らの前ではひょうひょうとしていましたよ。体が弱かったけれども、コンプレックスなんか
もっていなかったみたいですよ。驕らないし見下しもしないし、卑下している様子もなかった。ひょうひょうとして
当たり前の顔をしていました。

本野盛幸、六條有康「同級生・三島由紀夫」より

70 :吾輩は名無しである:2011/08/23(火) 14:17:51.73
佐藤:中等科から高等科にかけて、四歳年上の東文彦と三島は親しくなります。(中略)(三島は)自分の作品が
くだらないものに思えたとか、そういうことも書いています。だから、自己評価も素直で、また思うように
ならないことにはどんどん愚痴を言うといったタイプだと思っていましたが。
本野:そういう相手もいたんでしょうね。僕らにも愚痴を言ったのかもしれない。でも、愚痴に聞こえなかったんだね。
六條:彼は意志が強かったからねえ。(中略)
本野:それとね、家柄というんでしょうか、彼は普通の家でしょ。やはり華族の子弟との違いというのが
あったように思いますね。彼が優秀な人間だったということを関連づけてみると、そう思います。(中略)
あなた(六條さん)のように京都の古い家柄の華族とはやはり違う。(中略)反面、だけど俺の方ができるぞ
といった気持ちですね、そういうのが三島にもあったんじゃないかと推察します。
松本:それは確かにあっただろうと思います。あったから『春の雪』といった小説が書けたんですね。

本野盛幸、六條有康「同級生・三島由紀夫」より

71 :吾輩は名無しである:2011/08/24(水) 21:27:43.51
というわけで62の勝ち

72 :吾輩は名無しである:2011/08/24(水) 22:17:30.64
50年後に三島と村上のどっちが残ってるかというと、三島だろうな

73 :吾輩は名無しである:2011/08/24(水) 23:51:43.83
松本(司会):(三島は)最初は着物姿で現れたとか。終戦間もなくのあの時期、若い人で着物着ているひとなんか
いなかったでしょうね。
川島:そうですよ、あの時代、講談社の社屋は焼夷弾でね、黒こげになっているんですよ。(中略)そういう時代に
彼は紺絣に袴をはいて来ました。それはちょっと印象的でしたね。
松本:太宰治に会う時、着物を着て懐に匕首を呑んだような気持ちだったと三島は書いてますけど、講談社へ
行くのにもそういう気持ちだったんじゃないですか。
川島:どうですかね。相当緊張してました。
会ったのは僕だけでした。(中略)今日はこういう新人が来るから、頼むよ、と言われて。
松本:(中略)今後いけそうかどうか、見極めようと。
川島:ええまあ、やっぱり違いましたよ、普通の作家とは。僕たち池袋あたりでカストリ焼酎飲んで、檀一雄を
はじめとして、まあ無頼の連中とばかりつき合ってました。ところが、そういう文壇とは関係がない。なんか
スッとした、まあ貴公子っていう言い方はあんまり正確でないけど、何かスカッとした、よそ者が入ってきた。

川島勝「『岬にての物語』以来二十五年」より

74 :吾輩は名無しである:2011/08/24(水) 23:52:46.60
川島:プライベートなことになるけど、三島由紀夫の妹美津子さんっていうのがね、家内の同級生なんですよ。
三輪田高女のね。同級生で親しくしていた。そこでね、三島のお母さんの倭文重さんもまた三輪田出で、遊びに
来るようにって言われてね、何回も遊びに行ったことがある。三島家へですね。三島由紀夫を訪ねるのとは別です。
家内について何回も行ったことがある。
井上(司会):講談社で三島由紀夫の来訪を受けた後ですね。
川島:ええ。そんなことから親近感持つようになった。そして家族ぐるみの付き合いになった。だから僕がね、
馬込の三島家を訪ねると、玄関左手に日本家屋があったんですよ。そこに親爺さんと倭文重さんがいて、僕に
気づくとね、あ、川島、こっちだよって必ず呼ぶの。(中略)今ね、うまい焼酎があるよって。その頃の
焼酎ってのはね、芋焼酎でね(笑)。(中略)
井上:三島が焼酎を飲んだとは聞きませんが。
川島:ええ、息子の方はね、全然ダメ。銀座のエスポワールってとこへ一緒に行ったことあるんです。でもね、
水割り一杯飲んで、真っ赤になってね、大変だった(笑)写真ありますよ、探せば。

川島勝「『岬にての物語』以来二十五年」より

75 :吾輩は名無しである:2011/08/24(水) 23:53:17.56
松本:林房雄なんかと、早くから会ってましたね、三島は。
川島:ええ。
松本:川島さんも勿論……。
川島:ええ、会ってます。(中略)林房雄がね、山の中腹に書斎を作ったんですよ。その書斎びらきをするって
いうんでね。三島さんと呼ばれたの。そしたらね、その頃ちょっと忙しかったのかな、途中で帰ってしまった。
そしたらね、三島が帰ったら、花がなくなったよってね、林房雄は酔っぱらって言い出したんだ。じゃああれ呼ぼう、
熊谷久虎という映画監督がいるが、その義理の妹のあれを呼ぼうって。あれは誰だろうと思ってたら、原節子なの(笑)
君ィ迎えにいってこいよっていうからね、地図書いてもらって、(中略)湯上がりの彼女連れて僕は林房雄の
家へ行った。
松本:じゃあ三島は会ってないわけですね、原節子と。
川島:会ってたら、いやあ、どうだったか。
山中(司会):何年頃のことでしたかご記憶ありますか?
川島:何年頃だろうねえ。
松本:『仮面の告白』は出版されていました?
川島:もう出ていた。林房雄は三島をかわいがってますよ。

川島勝「『岬にての物語』以来二十五年」より

76 :吾輩は名無しである:2011/08/24(水) 23:53:47.41
山中:川島さんのお仕事では講談社インターナショナルでのものがありますね(英訳版『太陽と鉄』を見せる)。
佐藤(司会):ああ、インターナショナルに移られたんですね。
川島:これはねえ、(社で)反対が多くてね。カバーの裸の写真はやめてくれっていうんだ。
松本:三島さんは是非ともこれでって……。
川島:ええ。アメリカじゃね、裸の写真こういうふうにするとね、ゲイのね、一つのシンボルになるから、
それだけはやめてくれっ言われたんだけどねえ、「いや、是非ここにこれやってくれ」って(笑)。
松本:いい本ですよ。
佐藤:いい本だ。
山中:中は二色刷りで、お金かかってますよね。
川島:かかってんだよこれ。それで、裏に署名。それが効いてるんだ。
(中略)
山中:帯をするとちょうど褌が隠れるようになってるんですね。
川島:そうそう。隠したんだよ(笑)。
山中:英語の題字も三島の筆ですか。
川島:そうですよ。そちらもどっかにあるんだけど。

川島勝「『岬にての物語』以来二十五年」より

77 :吾輩は名無しである:2011/08/24(水) 23:57:13.57
川島:ある時ね、三島家を訪ねて、一緒に出たら、「川島さん今日はあいてる」っていわれてね、僕は会議が
あるので社に帰らなくちゃといったら、「それじゃいいや、この次にしよう」って。パレスホテルへ送って行くと、
「出来たらあなたと一緒に行きたいんた」って、楯の会だね。
佐藤:決起の予行演習とか。
川島:いや、一緒に飲むんだって。「川島さんがいると盛り上がるから」って(笑)。僕酒飲みだからね。
彼あまり飲めないから、「代わりに飲んでくれないか」っていうふうに話してたね(笑)。(中略)ああいう時はね、
惜しいんだよな。会社のことなんか別にしてね、三島がそんなこと言うのはあんまりないからね、あの時期にね。
どうして一緒にいかなかったかと悔やまれますけど。まあ人生ってそういうもんだよね(笑)。
松本:最後の別れみたいな、そういうことはありましたか。
川島:いや、別にないですねえ。あれが実はそうだったのかなあ。うん。ただ凄く忙しかったからね、例会とか
なんとかでね。

川島勝「『岬にての物語』以来二十五年」より

78 :吾輩は名無しである:2011/08/30(火) 16:59:03.26
松本(司会):三島が強く意識していた同時代作家は誰でしたか?
寺田:やっぱり(武田)泰淳さんを一番意識していたと思いますね。後は、安部公房でしたね。(中略)
松本:泰淳との対談も寺田さんが?
寺田:そうです。いつ聞いたかよく覚えていないんですけれども、三島さんは「俺が一番尊敬している作家、
現代作家は誰か知っているか? 泰淳なんだよ」っていう話をするんです。(中略)人前では言わないだけですよ。
編集者には漏らすんですよ。(中略)
三島が死んだ時の泰淳さんのエッセイね、やっぱりもう……。これは酔っ払って書いてるなということわかるんですよ。
後半が乱れてくるんです。本当に泰淳が惜しんでいるんですよね、三島さんを。三島がね、「仮面の告白」の原稿を
坂本一亀に神田のランボオで渡すんだけど、それを泰淳さん、見てるんですね、側で。やっぱり泰淳さんが
特別な人だったのは、そういう現場も見られているということもあって、三島さんとしてはずっと泰淳さんのことが
頭から離れなかったのかもしれない。ライバルというよりも、どういうのかな、温かい先輩としてね。

寺田博「雑誌『文芸』と三島由紀夫」より

79 :吾輩は名無しである:2011/08/30(火) 16:59:55.95
寺田:段々思い出してくるんですよ。こうやって話していると、延長線上で。やっぱりね、三島さんが文芸誌の
目次に入るか入らないかというのはかなり大きい問題になる時期だったですよね。それを言ってなかったんで、
付け加えますとね。やっぱり文芸誌のビッグネームなんですね。(中略)戦後派の中ではやっぱり三島さんは
一番商業的にビッグネームだったんですよ。そうだ、吉本隆明との対談をね、三島さんとの対談を、本当に
やりたかったですよね。二人ともやりたがっていたんですよ。
違った場所で私は二人から耳にしていて、実に残念だったですね。私がやらなきゃいけない仕事だった。(中略)
もう一歩突っ込んで、三島さんと吉本隆明との対談というのをやらなければいけなかったですよね。
松本:惜しかったですね。
寺田:これは実に惜しかった。これをやっていればね、そこでまた別の何かが開けた可能性があります。三島さんが
死ぬことをやめたかどうかまでは言えませんけど。

寺田博「雑誌『文芸』と三島由紀夫」より

80 :吾輩は名無しである:2011/08/30(火) 17:00:45.34
松本:その頃はもう決めてたんでしょうけどね。泰淳さんと会った時はもう決めていた。
寺田:決めてますね。
松本:その時の言葉になっていない三島の態度で、何かありましたか?
寺田:うーん。僕は三島さんの最後で思い出すのは、新年号の原稿を頼みに行ったんですよ、もう直前ですね、決行の。
その時に三島さんは別れの挨拶的なことはしませんけれども、顔にやっぱりそういうものが出ていたような気が
後でしました。というのは、「君に児童文学あげるよ」というふうにね、言ってくれたんですよね。「じゃあ、
少年時代をいずれ特集でいただきます」と言わなきゃいけなかった。しかし、私は死ぬ覚悟しているとは
思わないから、「やっぱり新しいもの書いてくださいよ」って簡単に言って引き下がっちゃった。それを実に
後悔しています。
その時のニュアンスでは、「君にはあんまり何もして上げられなかったから、これを記念にあげようかな」という
ような気持ちが少しはあったんじゃないかなと思います。そういう表情がちょっと読み取れたんですよね、
後で考えるとね。

寺田博「雑誌『文芸』と三島由紀夫」より

81 :吾輩は名無しである:2011/08/30(火) 21:14:10.04
おかまのヒステリー

82 :吾輩は名無しである:2011/08/31(水) 11:44:45.69
大河内(司会):演技をする際に、三島さんから注文なり助言があったんですか?
村松:いつも役の核心をつく説明をして下さいました。また演技の基本としては、人間を表現するのにひと色で
描こうとしない方がいい。例えばこのシーンで優しいからといって、残虐なところがあるかも知れない、愛の裏には
憎しみが……。何にでも光と影の両面を意識すること。人間を多面的に演ずること。
台詞に関しては、一つの文節をニューヨークのマンハッタンの摩天楼のように構築しておくれ。一つの台詞のなかに
一つのドラマがあると思いなさい。そう仰った。一言一句を大切にするということを思い知りました。
(中略)
先生のヒロインを演ずるときは、女という自分の素材によりかかってはいけない。むしろ素材は邪魔で、時には
自分が男になったつもりで「三島のヒロイン」を創っていかなくては、とても太ち打ち出来ない。複雑というか、
強さというか。極端なまでの存在です。

村松英子「ヒロインを演じる」より

83 :吾輩は名無しである:2011/08/31(水) 11:45:32.17
村松:(朱雀家の滅亡で)私の頂いたヒロインの役名が璃津子ですけど、先生の亡くなった最愛の妹さんの名が
美津子。「戦争で負けたことよりもショックだった」と先生が言われた妹さんの死は、敗戦まぎわに勤労奉仕中
喉の渇きに耐えかねて飲んだ容器の水から疫痢にかかったためと伺いました。妹さんは聖心女子学院生でしたから
勿論制服は違いますが、「朱雀家」で愛しんで描かれている学習院の制服姿の若い婚約者同士に、私は若き日の
先生と美津子さんを重ねたものでした。「先生のノスタルジイですね」としみじみ言うと、「うん」と優しい微笑が
返ってきました。
松本(司会):読み返してみたんですけど、二幕目、恋人の朱雀経広が戦死の確実な戦地へ向うという時に、
璃津子が言いますね、「正式の、もう二度と引き返せない結婚ではなくてはいやでございます」。美しくて
雄々しくて、恋心あふれ出る場面ですね。

村松英子「ヒロインを演じる」より

84 :吾輩は名無しである:2011/08/31(水) 22:28:59.73
おかまのヒステリー

85 :吾輩は名無しである:2011/08/31(水) 23:35:42.11
秋山:(昔から)三島由紀夫の存在は知っていた。早稲田に入る前なんかでも本屋に行けば、「花ざかりの森」を
売っていたからね。これがあの早熟の才能ある者が書いたのかと、あちらこちらの本屋を見てまわった。読みは
しなかった。翻訳本をやらなくちゃいけなかったから、そんなものは読んでいられなかった。

井上(司会):秋山さんはいつ頃から、三島由紀夫に同時代の感覚や接点を感じるようになったのですか?

秋山:言いにくいけど、それはないよ。ないというより、「花ざかりの森」という早熟のタイトル。題が題じゃないか。
そんなかっこいいもの、関係ないと思っていた。
(中略)どこが違うのかと、後になっても感じたことだが、やはり階層が違うということだよ。(はじめて三島と
会ったきっかけは)村松剛や佐伯彰一がいた「批評」という雑誌に、村松に誘われて加わった、その時にね……。

松本(司会):昭和四十年一月ですね。

秋山駿「『内部の人間』から始まった」より

86 :吾輩は名無しである:2011/08/31(水) 23:37:26.47
秋山:そう。なぜか遠藤周作が三島さんの家に連れていってくれた。その時、初めて社会的なことにちょっと
目覚めたんだよ。一月だったし、何か持って行かなくてはと、奮発して煙草の「ケント」をワンカートン買い、
持って行った。ところが遠藤周作と一緒に行ったら、三島さんが玄関で出迎えてくれて。まるで舞台だよ。
遠藤周作は三島に花束を持って来ていて、渡しながらご挨拶なんかしている姿を見て……。
井上:ちょっと違うなと。
秋山:ちょっとどころじゃないよ。持参した煙草は持って帰ってきちゃったよ。はっきりとこれは階層が違うなと。
井上:その時、階層というものをリアルにお感じになったのですか?
秋山:はっきり感じましたよ。西洋の何かを模したような立派な家だしね。特にやってることがさ。遠藤周作も
こんなことやるんだなと。
井上:遠藤周作についての見方も変わったのでは?
秋山:かなり変わりました(笑)。

秋山駿「『内部の人間』から始まった」より

87 :吾輩は名無しである:2011/08/31(水) 23:38:25.59
松本:外野席から見ていたわたしたちにとって、秋山さんの登場は非常に鮮やかでした。(中略)
「内部の人間」「想像する自由」(昭和三十八年)を発表されてからの秋山さんの存在感は凄かった。三島も
即座に認めた。
(中略)秋山さんから、三島はかなりの衝撃を受けたのではないかと思います。
秋山:未だによくわからないが、三島由紀夫は私に非常に親切でした。それはなぜだったか、現在でもよくわからない。
松本:なぜ親切だったのか色々と考えたいのですが、一つは、三島由紀夫の「太陽と鉄」(昭和四十年十一月
連載開始)は、秋山さんの仕事の影響があるのではないかと思うのです。(中略)評論かエッセイか小説か、
わからない新しい仕事というのは、秋山さんのほうが先ですよ。秋山さんがすでにやっておられる。そのとき
三島は、「なるほど、これだ」と思ったのではないかと私は思います。
秋山:あそこで文章の波長が共鳴したのかね。そう考えるといいけど、未だにわからない。

秋山駿「『内部の人間』から始まった」より

88 :吾輩は名無しである:2011/08/31(水) 23:39:29.96
秋山:私がある時から思っていたのは、もしかすると先ほどの階層の話に繋がるが、階層や絶対的な教養の違いが
あるからね。こちらは正反対の何もわからない奴、というふうに(笑)。
井上:しかし、明らかに三島由紀夫は、人間的な好感を秋山さんに対して持っていたと思うんですね。存在に
対する好感とでもいうものを。
(中略)
秋山:三島さんは最初の頃から、しかるべき外国の作家、作品に手を掛け、自分のものにして進んでゆく。一方、
こちらは何もなく、敗戦を契機に今まで読んできたものを捨てなければならないと思っていた。ただ一つ私が
大切に持っていたのは、志賀直哉だけです。
井上:しかし、三島はそういう秋山さんのことを、なんて言うのかな、セクシーだと思ったんじゃないでしょうか(笑)。
山中(司会):ストイシズムというか、ギリギリのところから出てくる魅力というか……。
秋山:私が考える対象としたのは、道端の石ころ。三島さんはそうじゃないからね。
井上:三島にとってそれが魅力的なんですね。

秋山駿「『内部の人間』から始まった」より

89 :吾輩は名無しである:2011/08/31(水) 23:40:25.52
秋山:私だけの考えですが、「仮面の告白」は、三島さん自身も説明し難い色々な意味があると思います。つまり、
私も後に、〈私〉という主格を中心にしての連作をやる。(中略)〈私〉という主格が行う人形劇のようなものに
すぎない。そこが「仮面の告白」に似ているのかもしれない。(中略)私は、三島さんの「仮面の告白」を
(「昭和文学ベストテン(小説篇)」)に挙げましたが、私が三島を挙げたことに、他の人は意外だったらしい。
三島さんは凄い人です。物を書くといってもただ書くのではなく、細部の密度、明晰さ、集中力を持って書く。(中略)
松本:「仮面の告白」にも書かれていますが、人間として生きていく資格のない人間だという認識がまず
前提としてある。そして、そこから、どうにかして生きていきたいという時点で、書くという行為が始まる。
これは秋山さんと同じなんですよ。(中略)しかし、お二人の行き先が全く違う。しかし、間違いなくここで
クロスしている。

秋山駿「『内部の人間』から始まった」より

90 :吾輩は名無しである:2011/09/01(木) 12:56:57.38
河野多恵子が、私が敬愛しているのは谷崎、三島は…作りすぎるから小説書くと変なことになっちゃう、
彼でいいのは戯曲、芥川賞のとき私を推薦してくれたのは彼なんだけど、といってた。
確かにそうだよね。

91 :吾輩は名無しである:2011/09/01(木) 16:32:06.24
「音楽」とかもつくりすぎてるということで評価低いよなあ。
たしかにラストで合理的にカタがつくあたりは、なんやねんそれ。
と、ツッコミをいれたくはなる。
でも個人的には好きだ。特にヒロイン凛子のキャラが。



92 :吾輩は名無しである:2011/09/01(木) 22:29:03.23
頭ばっかりでかいチビの虚弱児ホモや

93 :吾輩は名無しである:2011/09/02(金) 02:57:39.45
小説家というパフォーマンスを不器用ながら見せた優等生の凡人。
まともに読める作品は皆無。


94 :吾輩は名無しである:2011/09/02(金) 14:56:18.12
千葉県市川市の駅前のツインタワー。
あれって、平野氏のノーベル文学賞のために山田Eと村上Rが殺人を依頼して
、殺したやつが数人入居しているそうだ。


95 :吾輩は名無しである:2011/09/02(金) 22:45:21.44
身長160cm

96 :吾輩は名無しである:2011/09/02(金) 23:19:16.06
秋山:私は、あのときから今に至るまで、道端の石ころですよ。今だってそうです。すべてそこに還元される。
三島由紀夫は、やはり特別な人です。つまり、三島由紀夫は主人公なんです。日本の文学者にはあまりいない。

井上:(中略)それぞれ違う道を歩んだ。そのところについてどうお考えになりますか?

秋山:物の考え方ですね。根本の波長が違うのです。三島さんは特別な人だということで、私は時折、中原中也と
比較することがあります。中原中也は、毎日毎日、昼起きて、散歩して、夜に詩を少し書く生活を七、八年続ける。
あの生活の時間の在り方というものは大変なもので、普通の人がそのような生活を送ったら、二、三年で気が
狂ってしまう。それを持ち堪えた中原中也の強さというものは凄い。私は中原中也の詩が心に食い入っているほど
好きですが、一瞬一瞬の生き方が違うと思いました。一瞬一瞬が前後に繋がるのではなく、完結しながらの
一分一時間の密度になっている。そこが三島と重なる。こういう人は、長生きしようとかそういうことではなく、
その都度、完結し、その連続を生きる。

秋山駿「『内部の人間』から始まった」より

97 :吾輩は名無しである:2011/09/02(金) 23:19:46.94
秋山:三島や中也、そして信長も、その都度完結する。だから戦争ができる。完結するということは、死と
裏合わせですよ。いつ死んでもいいと思っている。だから奇妙な戦争の仕方ができてしまう。あとは運ですね。
そういったことから考えると、多くの人が言っている信長と違った信長像が立ち上がってくる。
井上:中原中也と信長との繋がりなど普通は連想しませんが、秋山さんのおかげで一点繋がるなと考えさせられます。
中也と三島にしても本質的に相当違うと思いますが、密度の濃さという共通項が挙げられる……。
秋山:本質的には違うでしょうけれど、中原中也も主人公でありたいと思った人です。
(中略)中也と三島を考える上で、間に小林秀雄を入れて考えてもいい。やはり重要なのは出発点です。
中也は(中略)いわゆるランボオなんですよ。
いわゆるランボオに傾倒したら、社会の中の主人公にはなれない。しかし三島の文学はそうではない。ラディゲの
「ドルヂェル伯の舞踏会」などの方面ですから。

秋山駿「『内部の人間』から始まった」より

98 :吾輩は名無しである:2011/09/02(金) 23:20:38.46
秋山:ランボオはいわゆる西洋を変えようということや、不可解なものに手で触るようなところがある。
そういったものを、実は三島も持っている。しかし、そちらへは進まなかった。
井上:どうしてでしょう。ラディゲに触れるのが早過ぎたからでしょうか?
秋山:いやいや。触れる段階の早さではなく、文学に取り組む姿勢の違いでしょう。文学のモデルの違いです。
中原中也の場合、文学のモデルは詩です。ランボオやヴェルレーヌです。三島の場合は小説です。小説は社会、
むろん政治も含んでいる。
あれほど一々のことを管理し決定して小説を書いていた人はいません。実際わかっていて、故意にそのプロセスを
飛ばしたと言えます。だから、所々で恐ろしいことを言っている。それは小説に対する疑いです。中村光夫との
「対談 人間と文学」の中で、小説に登場する〈彼〉という存在の、その〈彼〉に対して、どのような責任を
持つのかと言っていますが、これはそもそも小説の否定です。

秋山駿「『内部の人間』から始まった」より

99 :吾輩は名無しである:2011/09/02(金) 23:21:16.20
井上:小説を考えていく上で、それを言ったらおしまいということがあるのですね。なぜ三島は、そういったことを
言ってしまうのでしょう? (中略)
秋山:やはり三島さんは、主人公であることを生きた人だからね。たいへんな主人公になろうとしたのではないか
というのが私の考えです。織田信長と一緒です。(中略)
山中湖の文学館にある原稿などを見ましたが、あのような原稿の書き方をする人はいない。あれはすべて遺品ですよ。
いつ終わってもいいような、完結した原稿になっています。主人公の話に戻りますが、三島は日本あるいは
日本文化の中の主人公になろうとしたのでしょう。
松本:最後のところは、条件付きで賛成してもいい。例えば「日本文学小史」などは、いま秋山さんがおっしゃった
ような意図があったでしょう。日本文学の歴史と自分の文学を一体化させ、さらに先へ進もうとした。(中略)
一番肝心なのは、日本文学全体を考え、それを提示しようとして、三島は死んだんだと捉えることでしょう。

秋山駿「『内部の人間』から始まった」より

100 :吾輩は名無しである:2011/09/02(金) 23:23:33.22
山中:ご自身の仕事に注目していた、そして親切であったという三島の死に直面し、秋山さんは会社をお辞めに
なるほどショックだったとお聞きしましたが。
秋山:ショックどころではなかった。なぜ三島由紀夫が、あれほどまでに私に親切にしてくれたのかわからず、
それに対してきちんと対応していませんでした。今にして思えば、私の「簡単な生活」をペンギンブックスに
収録してくれたことは、たいへん大きなことです。しかし、その時は全く関心がなかった。(中略)外で泥酔して
いたとき、わが家に三島さんが電話をくれた。その電話に家内が出ると、「私は小説家の三島由紀夫です」と
名乗られた。まずそのことに感銘を受けましたね。(中略)電話をすると、「ペンギンブックスの件はちゃんと
済ませてあります」と。三島さんが死ぬ一ヶ月前くらいだったと思います。(中略)同時に収録される埴谷雄高は、
「秋山君、ペンギンブックスの件はどうなったかな?」などと言っていました。

秋山駿「『内部の人間』から始まった」より

101 :吾輩は名無しである:2011/09/07(水) 22:42:20.42
井上:三島と埴谷の関係というのは微妙なんですね。
秋山:それが意外ね。
井上:本音がよくわからない。たぶん三島由紀夫は埴谷の考えていることは理解できるが、存在として感覚的に
好きではなかったのではないかという気がします。
しかし、もう少し接点があってもいいと思うのですが。
秋山:いや。対談や批評でも接点はかなりある。三島さんは埴谷のこともよくわかっている。
山中:(中略)同族嫌悪といったような、ある種埴谷に似たところを感じて、わざと避けたということも
あったのではないですかね。
秋山:たしかに似たところも感じていたでしょう。ドストエフスキーの小説でいうならば、埴谷雄高はどこかしら、
地下組織の秘密委員会の委員長のようなところがありますからね。(中略)一方、三島さんも楯の会を組織するしね。
松本:「豊饒の海」のような作品を構想するのには、やはり「死霊」のような小説が前提にあるでしょうね。
あれに対抗する輪廻転生の小説世界を作ってやろうという思いはあったかもしれない。

秋山駿「『内部の人間』から始まった」より

102 :吾輩は名無しである:2011/09/07(水) 22:43:03.52
秋山:これは空想の話になりますが、「死霊」の中にはもう一つの流れがあって、現実に対して悪いことを
考える首猛夫、あれなんか三島さんは好きだったんじゃないかな(笑)。社会の中で悪いことを起こそうなんてね。
しかし、そのようなやり方ではなく、自ら実行しようと思ったのでしょう。三島さんは行動力があったからね。
ただ、今でもわからないが、長篇小説などを書く場合、主人公の意味が二つになる。一つは作品の主人公。
ところが三島さんの場合、現実の自分が主人公。これが素直に繋がるのか、打ち消し合うのか……。
井上:原理的には打ち消し合うはずなんですよね。
秋山:私小説というのは、作者が主人公になっては駄目。ところが三島さんの場合は、作品の主人公ではなく、
現実の中の主人公が強いから。
井上:作品と現実が重なってしまうのは、一つの幻想ですね。しかし、あえてそうした幻想を恐れなかったと
いうところもあるのではないでしょうか。

秋山駿「『内部の人間』から始まった」より

103 :吾輩は名無しである:2011/09/07(水) 22:43:41.04
井上:変な喩えですが、デカルトと三島は似ているところがありまして(笑)。つまり、原理的にそれを言っては
おしまいだというところまで相対化し、思考実験でゼロからスタートする。そして自明性というものを棚上げする。
現象学で言うところのエポケーというものを、ある意味でデカルトは徹底的に行うわけですが、三島由紀夫にも
そういうところがあって……。
(中略)
秋山:デカルトを文学として置き換えるならば、あれは宇宙の主人公ですよ。
井上:そうですね。そして、自分ですべてを構成してしまう。
秋山:よく冗談で言われているように、デカルトは宇宙の運動が神の一突きによるとするから、何もしなくても
よいのであれば、神は不在で済ませたかもしれないと。これも主人公です。物を考えるということはどういうことか? 
それは驚くということが第一だとも言う。まったくその通りですね。
山中:すべて疑ったのちに、考えている自己を見出す。コギトですか。
秋山:そして、精神指導の規則や情念論などすべて集約されている。大主人公ですよ。

秋山駿「『内部の人間』から始まった」より

104 :吾輩は名無しである:2011/09/07(水) 22:46:32.40
松本:三島の場合、現実の行動によって自分が主人公になれる、とは絶対に思っていなかったと思う。石原慎太郎と
違うところです。石原慎太郎は自分が主人公になり、少なくとも東京都を自分の意図するように整えようという
気持ちがあるけれど、三島は自分にはそれはできないという認識はあったでしょう。それが芸術家であると
いうことなのです。
山中:しかし、芸術家として自分自身が出てくる部分もあるのではないですか?(中略)
井上:石原慎太郎と比較するとよくわかります。慎太郎はアイロニーがなく、三島にはあったという話では
ないですか(笑)。
秋山:そう言われるとそうだけどね。とても言いにくいことだが、三島さんは石原慎太郎なんて小さいと
思ってるんじゃないの(笑)。東京都では、志が小さいからね。
あれくらいじゃな(笑)。(中略)例えば、日本文化というものを背負って歴史小説などを書いていた森鴎外と
いう人はどうだったのでしょう。
松本:鴎外の場合は、「古今集」までは遡りませんね。

秋山駿「『内部の人間』から始まった」より

105 :吾輩は名無しである:2011/09/07(水) 22:49:39.15
秋山:喩えとしてはかけ離れていますが、信長はある程度天皇と仲良くやっていこうと思った人です。
松本:信長が天皇とどれだけ向き合ったか知りませんが、三島の場合、天皇を問題にしたのは、あくまで文化の
次元において、日本全体を長大な時間と空間の両面から考えてですね。
秋山:三島さんはそれよりも上に行こうと思ってたのでは?
山中:同一化ではなく、さらに上ですか?
井上:三島は幻想において、源為朝、もっと遡って日本武尊などにも自己同一化しようとしたので、三島にとって
文化的天皇というのは日本武尊の系譜になりますね。そうすることによって、自分の理想の天皇になろうとしたと
いうことはあるのではないでしょうか。現実の天皇よりはるかに上になりますね。
松本:天皇というものは、なろうと思ってなれるものではないし、三島はそのようなことはまったく考えて
いませんね。(中略)普通の人間は絶対に神になれない。三島にしてもそうです。だから、人であり神でもあり得る
希有な存在、天皇に対して、厳しく要求したのです。

秋山駿「『内部の人間』から始まった」より

106 :吾輩は名無しである:2011/09/09(金) 11:38:38.64
松本:三島にとって小説は、基本的に少し合わないところがあると思います。(中略)ぴたりと合うのは、
やはり芝居の世界ですね。
井上:しかしどうでしょう。三島はニヒリズムや疎外感といった主題を抱えていたと思うのですが、芝居の世界に
行ってしまえば、そういったテーマを充分に追究できなかったのでは?
(中略)
秋山:三島由紀夫と小説の問題はかなり厄介ですよ。(中略)三島さんは小説に対して非常に難しい考えを
持っているね。
井上:テーマという言い方は適さないかもしれませんが、つまり風船を作れば結び目があり、三島由紀夫という人は、
風船の結び目がどうしても見えてくる人だと思うんですね。その結び目をどう名付けるか。私はニヒリズムと
名付けていますが。(中略)三島が、本気で書いた小説は、この結び目は何なんだ? ということをずっと
考えていたはずで、それはデカルトの主人公の問題と繋がると思うのです。

秋山駿「『内部の人間』から始まった」より

107 :吾輩は名無しである:2011/09/09(金) 11:40:27.82
秋山:ニヒリズムねえ。
松本:三島にとって小説を書くということは、初期においては自分をどう変えていくかという問題であり、後半は
言語というものをどのように整えるかという問題だった。(中略)
ニヒリズムなんて、今の時代、皆持っていますよ。
井上:人間である以上、皆持っているでしょうね。しかしそれに気づかないふりをしている。だが、三島の場合
「鏡子の家」の中で、青木ヶ原樹海で物が見えなくなるというシーンがありますね。あれは比喩ではなく、
リアリティーだと思うのです。実際の感覚として、あのようなことがあるだろう。あるいは物の意味が解体して
いくというような。
松本:それは、秋山さんが書いておられることでもありますね。意味が失われるというリアリティーね。
井上:人間として我々はニヒリズムを持っていると言っても、意味が解体していくことを、はたして朝から晩まで
感じていられるかどうか。三島という人は感じていただろう。また、例えば、中原中也のような一瞬一瞬完結した
生き方を我々は普通しないと思います。しかし三島は中也とは違う形で、そういった生き方を強いられている。
連続性がその都度途切れるという感覚です。
秋山駿「『内部の人間』から始まった」より

108 :吾輩は名無しである:2011/09/09(金) 11:41:17.07
秋山:三島さんが私に親切だったというもう一つのエピソードとして、日生劇場の「恋の帆影」の切符をくれた
ことがある。とにかく行かなくちゃと思って行ったら、私の周りは皆、有名な人ばかり。幕間になったら
三島さんが来て、その人たちにいちいちご挨拶なんかやってる。先ほどお話した、三島邸を訊ねたときの遠藤周作と
三島じゃないけどさ(笑)。私はそういうこと、全く向かないと思っているから、これはいけないと思い、
トイレに行くふりをして逃げちゃった(笑)。
そういうことばっかりしてたから、もう少し三島由紀夫という人に向かい合って、何かやるべきだったと思ってね。
三島由紀夫に死なれてみたら、それが負い目になっていた。それから親切心の一つとして私にサービスしてくれたのか、
「三田文学」のインタビューの途中、篠田一士へ電話を掛け、問い合わせをした。すると篠田一士は、迅速に
詳細に教えてくれる。三島さんは「篠田一士はこういうときに便利な人なんだ」とか言ってね。この人、言うなあ
思ったよ(笑)。あとはドナルド・キーンにも電話をしていたような気がする。

秋山駿「『内部の人間』から始まった」より

109 :吾輩は名無しである:2011/09/09(金) 11:41:58.22
秋山:対談後、帰る際に三島さんと一緒に歩き出したら、意外と小柄でね。でも身体は立派。対談は上半身裸で
やったんですよ。見事な身体。ただし意外と足は小さい。そして、「喜びの琴」で揉めていることを私に
訴えかけるように話すんですよ。
松本:杉村春子の悪口を言っていましたか?
秋山:いやいや。私はその頃、そちらのことは関心がなかったけど。対談の最中は、豪快に高笑いするなどして
いたが、なぜこんなに抒情的なんだろうと。意外な面も持っている人だなあと思ったよ。ただし「恋の帆影」を
見に行ったとき、(中略)階段を駆け上がったところで女性にぶつかりそうになり、ふとその女性をみると
清宮だった。やはり階層の問題ですね。
松本:華やかな空間には、秋山さんは合わない。(中略)その点では恐ろしくかけ離れた、対照的な存在でした。
それでいて、通低するものがあり、かつ、そこでは三島が受け取るものの方が大きかった。年齢の差はありながら、
同時代を生きた文学者同士の係わりようを如実に伺い知ることができたと思います。

秋山駿「『内部の人間』から始まった」より

110 :吾輩は名無しである:2011/09/16(金) 23:22:03.40
松本(司会):それにしても三島さんは何故こういう『喜びの琴』のような台本を正月公演にぶつけて
きたんですかねえ?
戌井:そこがねえ。そういうことは直接には聞けません。彼は、要するに文学座は杉村春子の劇団で、男連中は
席がないみたいだ。じゃあその男連中に、もっと元気のでる芝居を書くんだ、ということを言ってます。
松本:この台本は、間違いなくお正月の芝居にふさわしくないですね。芝居をやる以上はお客の受けを考えなくちゃ
ならないし、季節も考えなくては。三島さんはそういうことを考える必要は心得ていたはずなんですがね……。
戌井:だから僕は、三島さんのほうが思想的だったと、思っています。長岡輝子さんから聞いたんですが、
長岡さんが三島さんに『喜びの琴』のことを、あれは踏み絵じゃないかと言ったんですよ。すると、「バレたか」と
言ったんだって。
井上(司会):やっぱり確信犯なんですかね。
戌井:バレたか、と言ったとしたら、やっぱりそうした意図があったんでしょうねえ。でも、彼は、劇団が混乱して
中止にまでなるとは考えてなかったと思う。

戌井市郎「文学座と三島由紀夫」より

111 :吾輩は名無しである:2011/09/16(金) 23:23:31.38
松本:三島のああいう台詞はどこから出てくるんでしょうねえ。
戌井:どこからでしょうね。泉鏡花なんかをよく読んでいましたからね。しかし文体は三島独特のものですよ。
松本:とくに『鹿鳴館』のような台詞はね、聞いていると、歌舞伎ですとね、黙阿弥に非常に近いような気が
するんです。黙阿弥ってのはどの芝居見ても、朗々たる台詞が出てきますね。三島さんのお芝居ってのは何か
ああいう台詞と通じるものがあるんじゃないかなって、そんな感じを持っています。
戌井:三島さんは、もう学習院時代から戯曲を書いているでしょ。
教養として、どういうものに接していたのか……。
松本:三島さんの基本的な演劇教養は、歌舞伎ですね。中学生になった早々から、歌舞伎にこころを奪われ、
熱心に見続けた。
戌井:やっぱり歌舞伎や能の伝統芸能を追及していますね。日本人ですからねえ。
松本:新劇の他の劇作家と、その点が決定的に違う。
戌井:だからあれだけの歌舞伎の台本を書いた……。
松本:それとともに、新劇の世界であれだけの大きな花を開かせることができた、ということがあったわけで。

戌井市郎「文学座と三島由紀夫」より

112 :吾輩は名無しである:2011/09/16(金) 23:24:58.47
戌井:(俳優は)みんな新劇やろうとすると難しく考えるんです。台詞の意味とか気持たとか。それも必要です
けれども、むしろ自分の台詞のエロキューションですよ。
井上:三島演劇の心理っていうのは、日常から類推される心理のもう一つ先を行くようなところがあるんで、
表面的な心理学で感情を整理するだけじゃ駄目ですね。
山中(司会):写実的な心理模写だけでは届かないかもしれませんね。
松本:心理、感情は観客の方にまかせればいいんですよ。
戌井:前に団十郎さんがやった『春の雪』。こないだから海老蔵君にやれやれって言ってるんですけどね。
これ好きですし。初演の脚本は川口松太郎さんでしたが、今度やる時は新しい脚色で。
松本:それじゃ、戌井さんがやるべき三島のお芝居はまだまだありますね。
戌井:ええ(笑)。
松本:新劇では大芝居ってのはなかったですものね。それを三島ひとりが作ったようなとこがあるでしょう。

戌井市郎「文学座と三島由紀夫」より

113 :吾輩は名無しである:2011/09/16(金) 23:26:10.57
山中:三島由紀夫が亡くなった時は?
戌井:隣の第二稽古場の二階で会議やってたんですよ。杉村さんもいまして。テレビがついていて……。その時、
そのショックはね……。やっぱり三島さんの思想というものがハッキリしたなあというか、その瞬間に。
井上:じゃあ、『喜びの琴』から一直線上に……。
戌井:あるんですよ。
山中:『喜びの琴』は三島にとっては踏み絵以上の意味があったんでしょうか。しかし、この戯曲、この事件以来
すっかりある種のイメージが出来ちゃったようで、上演史なんかを調べてみると、その後全く再演されてない
ようですね。日生でやった時も、変に固いイメージがつかないようにと考えたのか、宣伝ではスリラーのような
要素を謳ったみたいですが、やっぱり難しいのかなあ。
戌井:これ、もうちょっと短くして、テーマの信頼と裏切りがはっきり分かるような面白い台本にしてね、
僕やってみようかなと思うこともあるんですよ。若い連中を使ったら面白いかもなあと、勉強会でね。

戌井市郎「文学座と三島由紀夫」より

114 :吾輩は名無しである:2011/09/23(金) 19:11:50.41
気持悪いな、このおっさん、

115 :吾輩は名無しである:2011/09/25(日) 23:26:32.62
徳岡:ここに三島さんに貸した本があります。バンコックでね。
山中(司会):『和漢朗詠集』ですね。
(中略)
井上(司会):三島さんにお会いになったのは、偶然なんですか。
徳岡:いやあ、バンコックに来るなんて知りませんでしたから。
井上:その『和漢朗詠集』を貸したのは……。
徳岡:三島さん退屈してましたから。三島さんもインドからの帰り道で、インドについては私と全く意見が
違いまして(笑)。僕はあんなとこ地上最低の国だと。(中略)三島さんはそんなことはないって。
(中略)インド人が古いものを守っているということは何事かだって言うんです。インドに向かって、早く
日本のようになれと言うのは全く見当違いだと言うんです。
井上:ガンジーのことなんかしきりに言っている時期がありましたね。
徳岡:あのガンジーの話もしたでしょうけれども、インディラ・ガンジー、あの当時の首相とも会っているんですよ、
三島さんは。だから『暁の寺』にはやっぱり、インドが入ってきて……。

徳岡孝夫「バンコックから市ヶ谷まで」より

116 :吾輩は名無しである:2011/09/25(日) 23:27:09.16
徳岡:(三島全集に)僕と三島さんとのバンコックでの対談というかインタビューが入ってます。三島さんは
おそらくノーベル賞とるだろうから、取ったらこれ載せたろ、思ってね、「三島さん、暇でしょ? インタビュー
でもしましょ」って言うたら、「やろう」って、ホテルの庭でやったんですよ。
山中:「インドの印象」ですね。(中略)
徳岡さんがインドをお嫌いだから、話が盛り上がっていて。
徳岡:そうそう。三島さんを挑発した(笑)。エラワンホテルの庭でやったんですよね。あれは可笑しかった。
三島さんもう真面目になってね、そういう考えの人はダメだって言うんですよ。
松本(司会):その姿勢が切腹にまで貫いててる……。
徳岡:そう。
井上:徳岡さんは、エラワンホテルに泊まってらしたんですか。
徳岡:いや、そうじゃない。私はまだ家族が来てませんでしたので、単身赴任の日本人が何人か泊まってるとこに
いました。
井上:バンコックで初めて三島を見かけたのもそのホテルのテラスで……。

徳岡孝夫「バンコックから市ヶ谷まで」より

117 :吾輩は名無しである:2011/09/25(日) 23:27:41.46
徳岡:テラスじゃなくて、ステーキ・ハウス。三島さんはアメリカ人のデッかい男と話していた。
井上:それはもうかなり真面目に……。
徳岡:アホかと思うた、三島さん一生懸命。相手はね野球帽被ってね、Tシャツや。こんな太ったアメリカ人。
ちょっと知ってたんですね、三島という名前を。そうだ、その頃「ライフ」に載ったんですもん。「ライフ」の
影響力って今じゃちょっと想像出来ないでしょう。だからね、日本の自衛隊のこと言ったんでしょう。ほんなら
三島さん、一生懸命に説明する。英語はうまかった。
井上:うまかったですか。
徳岡:うまかったよね。それで一生懸命説明する。アホかと思うて、アメリカ人の後に寄って、三島さん行こ行こと
言うたんですけどね、三島さん、ステーキ食ってる相手に、演説するんですよ。過剰なほど真面目なところがある。
観光客やからいい加減にごまかしておくという態度じゃあなかった。
井上:テンションが凄かったんでしょうか?
徳岡:テンションというんじゃない。静かではあったけど、生真面目。

徳岡孝夫「バンコックから市ヶ谷まで」より

118 :吾輩は名無しである:2011/09/27(火) 22:41:36.80
身長低い奴って体鍛えたがるんだよな
格闘技習ったり…

119 :吾輩は名無しである:2011/09/28(水) 17:39:21.51
松本:徳岡さんはベトナム戦線へ取材に行かれていますが、三島とのかかわりにおいても大きかったんじゃ
ないですか。
徳岡:だったんじゃないかと思います。(中略)当時、共産党が善で、アメリカ帝国主義は悪だというような
傾向があったんじゃないですか。それが六七年の五月頃の香港取材でちょっと崩れました。文化大革命……それから
六八年のテト攻勢で、こりゃ、僕ら忘れられないです。ユエ市民がずーっと長蛇の列をなして、解放されたユエから
逃げて来るんですよ。そういう解放とか平和とか民主って信用できますか。いわゆるね、人民解放軍なんていう
言葉なんかね、ふざけるなといいたいですね。
松本:だけど、それが結局勝っちゃったんですからねえ。
徳岡:いやあ一九七九年には、ベトナム解放しようとした中国人民解放軍がコテンパンにやられるんですよ。
それを誰も思い出さないんだ、日本の新聞は。
松本:だから、日本のジャーナリストの中でも特異な存在にならざるをえない。
山中:その分だけ、やっぱり三島も信をおいていたという……。

徳岡孝夫「バンコックから市ヶ谷まで」より

120 :吾輩は名無しである:2011/09/28(水) 17:39:48.41
井上:バンコックで薔薇宮の三島の取材ぶりには、その徳岡さんがびっくりなさったとか。
徳岡:そう。あれはねえ、三島夫人にアンタよくねえ殺されなかったね、もし二人とも撃ち殺されたって文句
言えないよって。日本政府が大使館通して抗議したってさ、有名な小説家かどうかなんか知ったことじゃない。
共産党鎮圧本部CSOC、(中略)今でも覚えてる。その司令官よく知ってて僕はよく遊びに行きましたけどね。
ブーゲンビリアの生垣から夫婦揃って覗いてたらアンタ、そりゃ撃ち殺されますよと、私は三島夫人に言った。
井上:(中略)(三島は)もう一度行きたかったんだけど、行けなかった。この薔薇宮の創作ノート、ここに
取材の様子が……。
(中略)
徳岡:凄いなあ。だから真面目にやってはったんですよ。文学を真面目に考えていはったんですよ。三島が
死んでからそういう人いない。こっちも真面目に読んでやらないとっていう気になりますよ。遊び心ってな言葉
流行ってさ、遊び心で書かれたような文学、金出して読まれへんもん。

徳岡孝夫「バンコックから市ヶ谷まで」より

121 :吾輩は名無しである:2011/09/29(木) 12:29:14.98
バカが三島を語ってもねえ
どうせアラヤシキとか言ってもさっぱりわからんっていうレベルなんでしょ?

122 :吾輩は名無しである:2011/10/01(土) 00:08:56.05
松本:そろそろ昭和四十五年十一月二十五日の話へ……。僕が一番気になるのは、最初の目標は三十二連隊でしたよね、
あれが変更になった。
徳岡:直前に変わったでしょ。
松本:ホントに直前に変わったんですかね。
徳岡:そうらしいですねえ。やはりわからない。
松本:だけど、意味が違うと思うんですよ。三十二連隊の隊長を拘束するのと、総監を拘束するのと、随分違うと思う。
徳岡:場所が違うしね。三十二連隊なら、決起して国会へ行ったかもしれないよ。
松本:楯の会の会員が集まっているわけですね。三十二連隊が標的なら、それがものをいうことになる。そして、
徳岡さんが車の中におられるわけですね。だからおっしゃるように違った展開になった。
徳岡:だからね、三十二連隊の隊長が不在とわかったんで、三島さんの行動がより象徴的なものに筋書きが
変わっていったんじゃないですかね。
松本:それは成り行きであって、もしかしたら、三島さん、本来は別のことを考えていたんじゃないかなって。
徳岡:わかんない。

徳岡孝夫「バンコックから市ヶ谷まで」より

123 :吾輩は名無しである:2011/10/01(土) 00:09:29.92
井上:裁判の記録からすると、三十二連隊長が当日不在であることが、十一月二十一日にわかり、その日、
中華第一楼へ五名が集まったところで森田が連隊長がいないことを報告、それから計画を練り直したと。
松本:だからね、僕ね信じられないの。
徳岡:ほんとねえ。
山中:そうなると、徳岡さんも書いていらっしゃいますが、あのバルコニーでの演説にしても、たまたまそうなって
しまったという。
徳岡:みんながね、三島が最期の劇を演出したとか何とかいうけどもね、ほんまかいなーって僕は思うんですよ。
早い話が、雨降るかもわからんし。何もね、三島さん、演出とかね、そんな筈じゃなかったと思うんですよ。
結果的にああいうふうになっただけであってね。
井上:十月の二日の会議の時点で、連隊長を拘束し、それが報道されるように、信頼出来る人二人を、つまり
徳岡さんとNHKの伊達宗克さんですけれども、呼ぶ、と。でも、拘束してどうするかっていう具体的なことは
あまりハッキリしないですね、十月二日の時点では。

徳岡孝夫「バンコックから市ヶ谷まで」より

124 :吾輩は名無しである:2011/10/01(土) 00:10:39.46
山中:(三島からの手紙の)封筒の中からいきなり写真が出てきたりして、えっと思いますよね。
徳岡:封筒開けてこうやると、一番重たいものが一番先に出てくる。で、写真が。しかし、写真よりは、手紙を
まず読みました。それから、檄を読んで、写真を見て。で、写真、あの本(五衰の人)に書きましたように、
森田の署名の筆圧に驚いたんですよ。グッグッグッグッって書いてあるんですよね。明日死ぬ若者が書いたんだ、
パレスホテルの一室で。
(中略)
松本:これ、相当激しい筆圧だね。
徳岡:もの凄いでしょ。ガッガッガッって書いてるでしょ。表にも出てるんですよ、その字が。それを見て、
こりゃ何かあると思いましたね。必勝君が心を込めて書いた字でしょうね。
井上:いい顔ですね。
徳岡:そうや。うん。この時二十五?
山中:そうです。森田だけ、なぜ二枚入れたのかな。
松本:こちら、笑ってると感じが違うね。
山中:夏服というのが珍しいですね。
徳岡:これや、これ一番印象がある。表情があるでしょう。僕としては貴重なもんです。

徳岡孝夫「バンコックから市ヶ谷まで」より

125 :吾輩は名無しである:2011/10/01(土) 00:11:07.91
井上:しかし、ホントに当日連隊長がいたとしたらどういう……。
松本:変わってたねえ。あの部隊じゃ、同じ建物の中に東京裁判の会場があるという、象徴的な意味が消えちゃう
からねえ。
徳岡:三島さん、要するに、死ぬのにさ、無為に死ぬかもわからんと、それでいいんだと思ったんでしょうね。
高倉健とか池部良が猛烈にいいと言っていたからね。
松本:より無駄死の印象が強くなる。
徳岡:そうだろうねえ。無駄死するつもりやったんだろうけどねえ。
(中略)
山中:もしちょっとした齟齬によって、これだけ変わったんだったら、偶然なのか、偶然とは言い難い何か
あったのか、やっぱり謎だと思うんですけど。
松本:偶然とは思えないけどなあ。
山中:どの程度用意したか、ですよね。その垂れ幕の長さは……。
井上:二十一日に連隊長がいないことがわかってから、準備した。パレスホテルでの準備もその後だからさ。

徳岡孝夫「バンコックから市ヶ谷まで」より

126 :吾輩は名無しである:2011/10/01(土) 00:11:44.13
松本:三十二連隊長といえば、実際に軍備を持っているのはあすこだけですね?
徳岡:ああそう、そうらしいですね。あとは司令部ですか。
松本:それから通信、補給関係。
徳岡:実践能力のある、連隊のあそこを制圧できたらね、火薬庫やって自殺できた筈だからね。
井上:最初はそういうプランもあったみたいですね。弾薬庫を爆破させるとか。
徳岡:まあ、僕よりももっといろいろ、三島さん考えたでしょうね。
(中略)
松本:多分、三十二連隊を標的にしたのは森田の主張で、三島は一旦、譲ったんでしょうね。
徳岡:あのね、無駄死と言うたけど、無駄死という観念が全く三島さんにはなかったと思うな。何故かというとね、
神風連がそうだ。あれを無駄死といえばあんな無駄死はない。
井上:それでよしとする……。
徳岡:そう、それでよしとする。熊本行きましたか。神風連の墓……。
熊本のあの神社。あれと、忠臣蔵の泉岳寺とは全然違う。一本の線香も立ってないんだ。何日も何ヶ月も人が
来てないってことがわかる墓地や。

徳岡孝夫「バンコックから市ヶ谷まで」より

127 :吾輩は名無しである:2011/10/04(火) 10:37:50.18
井上:ところで、森田必勝の持ってる影響力ってのは非常に大きかったでしょうね。
徳岡:いや、どっちが決起へ引っ張っていったかわからないと思いますよ。(中略)
松本:中村彰彦さんが『烈士と呼ばれる男―森田必勝の物語』に書いています。彼も、森田必勝が引きずって
いったんだっていう考え方ですね。(中略)
井上:森田の文章なんか、独特の何かを感じさせますね。
徳岡:文章は稚拙ですね。しかし、体から発散するものは凄かったでしょうねえ。それがアンタ、二十五で
死ぬんだもん。死ぬしかないって思ったんだもん。
山中:どちらかというと、三島の方が、青年達のそういった命がけの、何かもの凄いものに巻き込まれていく
というような感じで、結局、具体的な死の予定というかスケジュールを組んで行ったんじゃないと思われるんですけどね。
徳岡:お互いに励まし励まされて行ったんじゃないかな。わかりませんがね。いずれの結論にも達するような
原稿書こうと思えば書けると思いますよ。指導権はどっちだと。しかし、それは意味がないですよ。

徳岡孝夫「バンコックから市ヶ谷まで」より

128 :吾輩は名無しである:2011/10/04(火) 10:38:23.58
井上:死ぬ覚悟ってのは、昭和四十四年の10・21とか、ああいうときに、巻き込まれて命落とせばそれはそれで
いいって思ったんだろうという、そんな感触があるんですけど、その辺は如何ですか。
徳岡:僕はその時日本にいなかったから。
(中略)
井上:三島はその時自衛隊の治安出勤があったり楯の会の出番があるんじゃないかとホントに思っていたような節が
あって、昭和四十四年のその頃は、ある程度死を意識していたような気もするんですが、しかし、国際反戦デーが
思ったほど激しくならず、四十五年になってしまい、その時点で藤原定家について小説を書きたいと言う。また
『天人五衰』のごく初期の創作ノートなんですけれども、(中略)四十五年の初めの頃だと、その年の十一月に
死ぬっていう感じはないんですね。だけど、三月頃になったらやっぱり、決起するっていう形になってくる。(中略)
徳岡:私は(中略)三月に(ベトナムから)帰ってきたんですよ。そして、六月、帰国して三ヶ月後に会いに
行ったんですね。
松本:決心を固めた後に、お会いになったんでしょうね。

徳岡孝夫「バンコックから市ヶ谷まで」より

129 :吾輩は名無しである:2011/10/04(火) 10:38:57.94
井上:楯の会の運動も袋小路になって、一種追いつめられた状況にいた時に、徳岡さんが近くにいらっしゃらなかった。
徳岡:いやあ、僕そんな存在じゃないですよ(笑)。あの当時はね、三億円事件の犯人が三島じゃないかって
言われてたの。
井上:顔がちょっと似てる……。
徳岡:顔が似てるよ。あんな複雑な筋書き考えられるのは三島由紀夫だけで、しかも楯の会で金を必要として
いましたからね。
井上:あの頃の週刊誌を見ると、新年の時点で、「平凡パンチ」の一九七〇年の予想特集というようなページで、
防衛大学の学生が反乱を起こして、それを鎮圧するために自衛隊を使うのはよくないので楯の会が出勤、その功績で
三島が防衛大臣になる。しかし、大御心を悩ます悪書追放リストに「悪徳のよろめき」が入っていることがわかり、
天皇に申し訳ないことをしたといって、切腹をしたら失敗し、三島はその後左翼に転向したっていう(笑)。

徳岡孝夫「バンコックから市ヶ谷まで」より

130 :吾輩は名無しである:2011/10/04(火) 10:39:31.32
松本:『和漢朗詠集』については、お貸しになっただけで、なにもお話しなさらなかったのですか。
徳岡:返してもらった時、「ありがとうございます、楽しかったね、面白かった」ってねえ、三島さん言っただけ。
(中略)
山中:このページを三島が見たんですね。
徳岡:漢詩三篇と、沙彌満誓の歌ね、「世の中をなにゝたとへむ(中略)
山中:天人五衰の言葉が出てくるのは、これですね。「生ある者は必ず滅す(中略)天人なほ五衰の日に逢へり」。
徳岡:それと、「朝に紅顔あつて世路に誇れども 暮に白骨となつて」ちゅうのと、同じ頁だ。(中略)後で
これを見て、あっこれだなって思ったんですよ。
井上:バンコックの時点ではまだ『天人五衰』ってタイトルは考えてないですね。
四十五年になってから、小島さんに『天人五衰』にするって言うんですね。ただ天人五衰って言葉自体、確か、
戦争中の文章で使ったと思う。知らない言葉じゃなかった。
山中:しかし、この本を開いて見ると……。
徳岡:三篇並んでるからね、パンチが凄いんだ。

徳岡孝夫「バンコックから市ヶ谷まで」より

131 :吾輩は名無しである:2011/10/07(金) 00:11:01.76
山中:徳岡さんはストークスの翻訳を出されていますね。新版も。
徳岡:本人が一生懸命やっているから翻訳してやらないわけにはいかないからやってるんですけどね。ある意味では、
東京にいた新聞記者で、日本人を含めて、三島さんがやってること、これはなにかあるぞ、と思ってたの、
ストークスだけなんですよ。自衛隊の演習だって付いていったんだから。(中略)一流の作家がね一生懸命
やってるんだ。新入社員鍛えるのに自衛隊体験入隊したり、これ昭和元禄の発想や。そんなんじゃなしに、
何かあると思ったら、ね。日本の新聞はそういうふうにはなってない。日本の新聞は、よそに抜かれないように、
デフェンスの取材しかやってないんですよ。
(中略)
松本:あれから後、市ヶ谷へ行かれたことありますか。
徳岡:何十年か経って正門から坂道を登ってみたけど、うわーこの坂走って登ったんかーって驚いた。もの凄い
坂なんですよ。こう曲がって、左手にバルコニーが……。

徳岡孝夫「バンコックから市ヶ谷まで」より

132 :吾輩は名無しである:2011/10/07(金) 00:11:30.62
松本:あの時、よく誰何されませんでしたね。
徳岡:いや、あの時はそれどころじゃなかったんや。僕は、走りながら腕章してね。それからここへこれ……
(檄文や写真を指さし)。(中略)
松本:走りながら、足のどこに。
徳岡:ここ。靴下の後ろ側。(中略)ソックスの中に隠して……。だからねえ、『五衰の人』をどうしてもね、
書かないかんと思った。だけど、三島はおもろい奴やったなあってことしか書けないんですよねえ。頭は良いし、
原稿書いてもうまいし、そいでアンタ思い切ったことやる。自分の思ったことやり遂げるっていうねえ、こんな奴
ほかにおらへん。
松本:僕は、(中略)いいようのないショックを受けて、数日間もの凄く憂鬱でしたね。(中略)この世は
生きるに値しない、と三島に宣告されたような気がしたんですね。だけど、そうじゃない。逆なんだ、生命を
投げ出してもよいだけのものが、この世にはあるんだ。また、そうでなければいけないんだ、と三島は主張したと
いうことが、だんだん分かって来た。時間がかかりましたけれどね。

徳岡孝夫「バンコックから市ヶ谷まで」より

133 :吾輩は名無しである:2011/10/08(土) 00:16:57.97
ここはコピペバカのセンズリ場所でっか?
これだけ大量にコピペしたら、著作権侵害で告発できそうだなw



134 :吾輩は名無しである:2011/10/08(土) 00:39:35.54
なんかネトウヨが勘違いして政治的側面からまったく関係のない作品まで過大評価してる感は否めない

135 :吾輩は名無しである:2011/10/13(木) 19:31:14.16
和久田:文学座をはじめとする新劇の役者たちは、リアリズムというものを追求して来たため、大見得を切って
芝居をするようなことを恥ずかしがって出来ないんです。それを三島さんが、堂々とやるばいいんだと教え込んだ。
「鹿鳴館」で、朝子と草乃が舞台端から、影山と飛田の会話を窺うところがありますね。あたり前の新劇なら、
植え込みに隠れて演ずる場面です。しかし三島さんは、隠れていることにすればいいんだから、表に出て演じなさい
と言った。これは、歌舞伎役者なら平気でやるんだけど、杉村さんもはじめは全然出来なかったそうですよ。
井上(司会):なるほど。文学座は「鹿鳴館」の翌年、福田恆存の「明智光秀」で、はじめて歌舞伎との合同公演を
やりますが、その下地を三島の「鹿鳴館」が用意したようなところがあるわけですね。こう言うと、福田恆存は
面白くないでしょうが。
松本(司会):三島は、杉村春子という女優を、そういうシアトリカルな方向に押しやることを、意識的に
考えたんでしょうね。

和久田誠男「『サロメ』演出を託されて」より

136 :吾輩は名無しである:2011/10/13(木) 19:33:10.37
山中(司会):杉村春子は役になりきって舞台に出てくるが、それでは駄目だ、まず杉村春子が出てきて、
それから役になるという具合に意識的に演じろと、三島は「トスカ」の時に注文をつけていますね。
和久田:「サド侯爵夫人」でも、序幕でサド侯爵夫人ルネではなくて、ルネを演じる丹阿弥谷律子が、真白な装束で
下手からバッと出てくる。それを三島さんはとっても喜んでいましたね。ただ、三島さんは、「サド侯爵夫人」では
あんまり役者を動かしたくなかったと思いますよ。松浦(竹夫)さんは、割と役者を動かしたがるんだけど、
三島さんとしては動きとか舞台装置とか、そういうものに寄りかかるんではなくて、セリフでもって芝居を
運ばせるんですね。(中略)
松本:(中略)芥川比呂志が紀伊国屋ホールで「サド侯爵夫人」を演出した時は、割合に動かしましたね。
動かして、よくなかった。
和久田:よくわかりませんが、あれは芥川さんが体調がよくなくて、NLTの岸田良二という人が実質的に
演出をやっていたのかもしれません。彼は松浦的な演出が好きでしたから、動かし過ぎたんじゃないかな。

和久田誠男「『サロメ』演出を託されて」より

137 :吾輩は名無しである:2011/10/13(木) 19:33:56.67
和久田:自宅が山王で近かったことから、三島さんの馬込のお宅には、しょっちゅう行ってました。伺うのは
だいたい昼の一時ぐらいでしたね。ちょうど三島さんが起きて日光浴しながら食事をする時間でした。ただし
三島さんは自宅の三階を増築、おっぱいの形をした部屋にするというんで、四十年の五月まではホテルニュー
ジャパンを利用してました。ニュージャパンにも行きましたよ。「近代能楽集」の座談会のゲラでも見せに
行ったのかな。そうしたら舟橋聖一さんがいましてね、三島さんと仲よく喋ってました。不思議なんだよね、
この二人の仲がいいのは。(中略)
舟橋さんは、三島さんの家に来るのにも、執事からいちいち電話がかかってきて、ただ今、大崎広小路をお通りに
なりました。あと何分ぐらいでお着きになります、なんて言うんだそうです。大袈裟な奴だって、三島さんは
笑ってました。三島さんと自宅でお話しするのは、その三階の「おっぱいルーム」が多かったですね。

和久田誠男「『サロメ』演出を託されて」より

138 :吾輩は名無しである:2011/10/13(木) 19:34:57.74
井上:「ブラジャールーム」と言うんじゃなかったですか?
和久田:三島さんは、「おっぱいルーム」って言ってた気がするなあ。一階や二階のいわゆるロココ風の感じとは
全然違って、いわゆるモダンな、シンプルな装飾でしたね。あれは、UFOを見るために作ったんですよ。私ね、
三島さんはひょっとしたらね、宇宙人じゃないかと思うんだ(笑)。とても人間とは思えないです。
井上:わかるような気がします(笑)。実際に会っていて、そう思う瞬間がありましたか?
和久田:いや、そういうんじゃなくて、帰宅後ふっと思い出して、なんだか人間と会ったんじゃなくて、宇宙人と
会って来たんじゃないかという気がしましたね。
井上:波長や感受性が、普通の人とは全然違うんでしょうね。
松本:それは人間としての存在感が希薄ということではなくて……?
和久田:いや、頭の回転が早くて、われわれの十歩も二十歩も先のことを察するとかね。

和久田誠男「『サロメ』演出を託されて」より

139 :吾輩は名無しである:2011/10/13(木) 21:39:56.86
「三島由紀夫って見合った評価されてね?」の方が悲しいな。

140 :田中よしろう ◆d........o :2011/10/14(金) 08:24:33.02
Certainly.
He gain attractive when he is misunderstood.

141 :吾輩は名無しである:2011/10/15(土) 09:32:23.69
和久田:昭和四十二年十月、「朱雀家の滅亡」はいい芝居でしたね。私はやはり舞台監督をやりましたが、
快感なんだよねえ。ああいう芝居って、めったにない。春、秋、夏、冬の四幕でしょ。最初は春でツツジの花を
舞台に出す。秋は楓、夏に戻って蔦や夏草、冬は雪を降らせるんです。松浦さんはね、その頃テレビで本物の
雪みたいなものを降らせていたんだけど、三島さんはそうじゃなくて、歌舞伎の三角の雪じゃなきゃ駄目だよ、
と言うんです。最後に村松(英子)君が十二単を着てお社から出てくる場面で、雪を降らせるんだけど、これも
舞台監督としては嬉しいんだよね。
松本:幕が上がると、まず舞台が目に飛び込んできて、観客はわくわくする。四幕ともそういうところを計算して
いるんですね。(中略)
山中:芸術祭参加作品でもあるし、中村伸郎も好評だったようです。
井上:この時から「劇団NLT」を名乗るようになりますね。
和久田:「朱雀家の滅亡」の時にはじめて「劇団NLT」となり、松浦さんが劇団代表になるんです。

和久田誠男「『サロメ』演出を託されて」より

142 :吾輩は名無しである:2011/10/15(土) 09:33:00.34
これ(「わが友ヒットラー」の三島の本読みのテープ)は私が録音したんです。脱退届けを出しに行ったNLTの
事務所のロッカーには、「サド侯爵夫人」の三島さんの本読みのテープも入っていたんで、よっぽど盗んで
来ようかと思ったんだけど(笑)、持ってこなかった。その後、「サド侯爵夫人」のテープは所在がわからなく
なっちゃいました。「サド侯爵夫人」と「わが友ヒットラー」は三島戯曲の二大金字塔なのに、片方の本読みしか
残っていないのが、本当に残念でしょうがない。
(中略)この原稿で、書誌学的に気をつけなければならないのは(笑)、登場人物が「シュトラーサー」に
なっていることです。(中略)再版ではじめて「シュトラッサー」になった。なぜかって言うと、稽古場に
ヒットラー・マニアの高校生が来てね。
山中:ああ、後藤修一さんという方ですね。
和久田:そう、その時、三島さんもいたんだよね。その子から、これはシュトラッサーですよ、って指摘を
受けたんです。(中略)
山中:(中略)(後藤さんは)それがきっかけで浪漫劇場に来て、色々協力するようになったと何かで読みました。

和久田誠男「『サロメ』演出を託されて」より

143 :吾輩は名無しである:2011/10/15(土) 09:33:25.65
和久田:三島さんは10・21(国際反戦デーのデモ)なんかを見に行きましたね。その頃、和久田君、事があったら
俺は楯の会の連中と斬り込みに行くけど、女房と子どもは車に乗せて山のほうに逃げてくれよ、なんて言われました。
(中略)
山中:稽古場に楯の会の制服で来ることなんかありましたか?
和久田:ありませんね。ただし「わが友ヒットラー」の初日のカーテン・コールの時は、制服を着て来ました。
楯の会の連中も来ていましてね。それがこの写真で、三島さんはむこうを向いてます。私も真ん中にいます。
山中:村松剛の姿も見えますね。この日は芝居の前に楯の会の例会があって、会の終わりに三島が希望者をつのって
連れてきたそうです。(中略)
和久田:(中略)私が三島さんと一緒に撮った写真は、これと私の結婚式の時のしかないんです。
山中:結婚式はいつですか?
和久田:四十四年の十一月六日です。場所は東京会館、三島さんは君が代を歌ってくれました。

和久田誠男「『サロメ』演出を託されて」より

144 :吾輩は名無しである:2011/10/16(日) 20:08:10.49
和久田:その日(十一月二十五日)、私は寝ているところを叩き起こされたんですが、何も考えられませんでしたね。
すぐ劇団に行きましたが、どうしようもない。三島家に行って通用口の門番をやりました。(中略)あとで、
劇団の稽古場で劇団葬をやりました。ただね、「サロメ」は三島さんの演出で私が演出助手ってことになって
いましたが、松浦さんは、とんでもない、本当は俺がやるのがあたりまえだ、って言うんですね。私は呼びつけられて、
お前は若くてこれからいくらでもチャンスはあるんだから、「サロメ」の演出は諦めてくれ、と言われたんですよ。
そう言われれば、松浦さんは私の先生ですし、わかりました、と答えたんです。ところが、(三島の)奥さんが、
「サロメ」だけは何としても主人の遺言なんですから、ぜひ和久田さんにやって戴きたい、と言って、松浦さんも
折れて、演出ではなく公演責任者という役割になったんです。松浦さんは、この年の九月に「朱雀家の滅亡」の
演出をやって、それを追悼公演にしたんです。
井上:そういうことがあったんですか。

和久田誠男「『サロメ』演出を託されて」より

145 :吾輩は名無しである:2011/10/16(日) 20:09:02.86
和久田:私はね、この松浦さんとのことがあって芝居が嫌になって、それで芝居をやめちゃった。
松本:ある意味で、和久田さんは三島さんに殉じたんですね。
山中:支柱的存在を失ってしまって、浪漫劇場自体も昭和四十七年の「地球はまるい」で終わりになったという
ことですか?
和久田:そうです。解散ですね。でも、その時のことは私はもう全然知らない。演劇の質が昭和四十年代にすべて
変わってオーソドックスというものがなくなりましたから、私もそこでやめてちょうどよかったんですよ。
(中略)
松本:和久田さんの立場も複雑ですね。それにしても、演出家として「サロメ」をやったということは、
強烈過ぎる体験ですね。
和久田:そうです。なぜ三島さんは私を演出助手に選んだのか。私でなくても、(中略)一向におかしく
ないんですがね。じゃあ、私がどれだけの舞台を作れたかというと、忸怩たるものがあります。

和久田誠男「『サロメ』演出を託されて」より

146 :吾輩は名無しである:2011/10/16(日) 20:10:15.05
松本:和久田さんは、(サロメを)三島は自分の劇場葬にしようと意図したとおっしゃった。そのとおりだと
思いますが、ただの葬儀ではありませんね。なにしろ血がたっぷり流され、生首が出るんですから。血が流され、
生首が出るとなると、犠牲が供され、甦りが祈られる儀式じゃありませんか。市ヶ谷では「七生報国」と書いた
鉢巻きをして、死ぬけれど、こちらで甦る。少なくとも芸術家として甦る願いを込めている、と私には思われて
ならないんです。
和久田:なるほど。「椿説弓張月」の最後、為朝が白鳥に跨って昇天するのも、そうでしょうね。
松本:そうなんですよ。(中略)再生の祈りを込めた劇場葬と、一対にして捉えると、腑に落ちるんです。多分、
映画「憂国」の展開でもあるでしょう。当時としては生々しすぎて、そうと受けとれなかったでしょうが。
和久田:三島さんの意図がどうであったか、私には分かりませんが、なるほどなと思います。

和久田誠男「『サロメ』演出を託されて」より

147 :吾輩は名無しである:2011/10/16(日) 20:11:29.76
松本:最後にもう一つ、三島について忘れられない思い出を、ぜひお聞かせください。
和久田:「サロメ」の最後の打ち合わせを、十一月二十一日の晩にやったとお話しましたね。その後、三島さんが
飯でも行こうと言って、奥さんが運転する車で六本木の福鮨に行きました。テーブル席に、三島さんと奥さん、
おふたりと向き合って座って、ご馳走になったんですが、そうしてねぎらってくださったんですね。
その時私が車の中で、「豊饒の海」が終わったら、何を書くんですかと聞いたら、それを聞くのはわが家では
タブーなんだ、あとは死ぬしかないじゃないか、ワハハハ……、と三島さんは答えました。それから、帰りの
車の中で三島さんが、しきりに寒い寒いと言い出して、助手席で震えるように縮こまったんです。確かに
寒かったですが、震えるほどではなかった。それを、運転する奥さんが気遣っていました。
松本:……それは、やはり精神的なことからだったかもしれませんねえ。
和久田:そうだと思います。そのことをよく覚えています。

和久田誠男「『サロメ』演出を託されて」より

148 :吾輩は名無しである:2011/10/22(土) 16:09:28.09
織田:これは有名な話で(六代目中村)歌右衛門さんも言ってますけれども、「芙蓉露大内実記」の時に(三島と)
(市川)猿翁(二代目猿之助)さんとごたごたしたんですね。その時に「台本をとにかく直してくれ」と。
直さなかったら、もしかしたら猿翁さんが降りたかもしれないというような時に、歌舞伎座の頭取部屋のデスクを
借りて三島さんが台本を直したというんですね、一時間ぐらいで。それで稽古を再開して。それが見事にできた
ということで、歌右衛門さんも「大変な才能だ」と褒めてました。それをやらないと駄目なんですね。これ、
三島さんという人もそういう人だけども、とにかく台本を直す時に、何とも言いようがないんだけれども……
南北にでも黙阿弥にでも「なる」んですね、座付の作者になりきってしまう。だから、稽古場の雰囲気で
直さなきゃだめなんです。
井上(司会):三島も座付作者になったということですね。
織田:稽古場の延長線上で台本を直さないと切れちゃう。そこでみんなも気持ちが切れちゃうし。

織田紘二「『三島歌舞伎』の半世紀」より

149 :吾輩は名無しである:2011/10/22(土) 16:10:00.69
松本(司会):だけど、「芙蓉露大内実記」の場合、あの直しは失敗だったと指摘されていますね。
織田:いや、失敗というより、そうしなかったら上演できないですよ。あの日あそこで直さないと。最終的に
失敗だったかもしれないけれども。「芙蓉露大内実記」は四本目ですよね、作品としては。そのあと、(中略)
「協同研究・三島由紀夫の実験歌舞伎」(「演劇界」昭32.5)という座談会があって、その中で、三島さんは
「芙蓉露大内実記」の稽古のプロセスの話をしてますね、きれいごとになってますけど(笑)。三島さん自身は
「それで大体限界がわかっちゃったんです」ということをおっしゃってますね。「わかっちゃった」というよりも、
「もうこれ以上深入りしない、もういい」ということでしょう。絶交なんですね、これ。
山中(司会):そうなると、これは結構シビアな発言というか、ある種歌舞伎に対する、見切り宣言のような……。
織田:見切りをつけてるんですよ。そのあとでもう一本「むすめごのみ帯取池」をやってますが、それは歌右衛門の
懇望だったんでしょうね。

織田紘二「『三島歌舞伎』の半世紀」より

150 :吾輩は名無しである:2011/10/22(土) 16:11:03.32
織田:「大内実記」はラシーヌの「フェードル」を下敷きにしているわけだけれども、限界があるんですよ。
ラシーヌの「フェードル」を昭和三十年当時、どれだけの人が知ってますか。それも歌右衛門ファンが。
松本:まあ、知らないですね。
織田:日本の観客、かなりのレベルの識者だってそうでしょう。まして歌舞伎の客なんか、どれだけ知って
ましたか……(中略)
松本:舞台はともかく、「大内実記」は読んでみると面白い。ラシーヌとは関わりなく、よく出来ていると
思いますよ。効果的な工夫も凝らされていて。
織田:やっぱり義太夫の失敗でしょうね、作曲の。これはもちろん歌右衛門もそう言っているし、「もう一度
やってもらいたい、やってみたい」と(現・五代目坂東)玉三郎さんなんかも言ってますけどね。だけど義太夫は
完全に直すべきだとは、歌右衛門さんも言ってますね。
(中略)
井上:三島は『三島由紀夫選集』に「大内実記」を入れる時には、書き直す前のオリジナルの台本を、あえて
収録していますね。
山中:不本意な書き直しだったと、選集には注記がありますしね。(中略)猿翁だったでしたか……

織田紘二「『三島歌舞伎』の半世紀」より

151 :吾輩は名無しである:2011/10/22(土) 16:11:39.16
織田:あの人にとっては第一義は文学、それも小説ですね。第二義であるけれども大事だったのが創作戯曲
だったと思う。三番目に、あの人の心の遊びというか、少年の遊びというか、そういうものに帰って行けたのが
歌舞伎だったと思う。そして歌舞伎は、能を扱うのとは全く違った扱い方をしてるわけですよ。能は『近代能楽集』を
見てもわかるように、とにかく能を昇華しきった上で、三島にとっての現代劇になってるわけですね。歌舞伎の場合、
彼が最後の最後までこだわったのは「狂言作者」なんですよ。まずそこから遊びなんです。竹柴ナニガシに
扮している、彼自身が。「三島由紀夫」じゃないんですよ。だから「演劇界」の対談でも利倉幸一さんに、
「狂言作者というとだれまでをいうでしょうか?」と聞いてますよね。利倉さんは「新七まででしょう」と、
三代目の(河竹)新七まででしょうと言っているけど、三島さんはその次は自分だと思ってるんですよ(笑)。
(中略)
山中:本読みを必ず自分でするのも、狂言作者の流れに自分も沿おうとして実践していたというわけですね。

織田紘二「『三島歌舞伎』の半世紀」より

152 :吾輩は名無しである:2011/10/22(土) 16:12:14.25
織田:あの人にとっては「鰯売恋曳網」がとにかく当たってしまったのが気に入らなかった(笑)。
困惑してるし、歌右衛門さんも言っているように、初演の時からぼやいてるわけですよ。(十七代目中村)勘三郎が
気に入らなかったと。
「弓張月」の時、監事室というガラス張りの部屋が劇場の客席の一番後ろにあるんですが、そこに僕はつめていて、
三島さんと一緒に見てた。初日が開いて何日か経って、二人で立って客席を見てたんですね、誰か来ていないかなと。
(中略)そしたら中村屋(勘三郎)が客席に入ってきたんです。で、三島さんに手を振ったんです。(中略)
僕が頭を下げたら、三島さんが「愛想がいいね、俺の『鰯売』を単なる喜劇にしちゃったんだからねえ、彼は」。
ファルスだと三島さんは言ってるけれども、「あのねえ、そういうことが理解できないんだよ、あの人は」
という話をそこでしましたね。まあ、それは確かにそういう人なんだけどね。単なる喜劇にしてしまったと。
井上:ちょっとふざけすぎというか。

織田紘二「『三島歌舞伎』の半世紀」より

153 :吾輩は名無しである:2011/10/23(日) 11:50:27.18
松本:ファルスと喜劇との差は何ですかね。
織田:やっぱり、ペーソスなんですね。何か苦い笑いというか。原作のお伽草子を読んでみてもわかるように、
元々は単純な笑い話なんですね。蛍火はお姫さまでも何でもなくてほんとに遊女ですよ。どこの馬の骨かわからない
五条東洞院の遊女。それを三島さんは歌右衛門のために、丹鶴城のお姫さまにしちゃったわけですね。そうすると
あそこで一番大事なところは、二重の身分差別の悲劇、二重の身分違いの恋の悲劇なわけで、三島さんは、
俺はそういうものを設定したじゃないか、と言いたかった。
井上:勘三郎にそういうことを要求してたわけですか。
織田:そうなんだね。また作品世界に要求した。それをよく理解できなかったというところなんだと思います。
山中:悲哀を帯びた笑いが込められている、と。
井上:姫は鰯売りの声に誘い出されて出奔するわけですから、そこには身分差の問題がある。ペーソスもある。
ところが、ただおちゃらけたみたいな、そういうふうになってしまった。

織田紘二「『三島歌舞伎』の半世紀」より

154 :吾輩は名無しである:2011/10/23(日) 11:50:58.10
松本:あれ(鰯売)は本当に、劇場の中が沸きに沸きました。最近上演された歌舞伎で、あれだけ劇場を沸かせた
脚本ってないんじゃないかと思うんですよ。
織田:それはやっぱり先代も今も勘三郎のやり方を受けて立てる台本だからできるんだけれども、ただ、それは
どうも三島さんの意図ではないらしい。
松本:だけどそれね、三島さんはちょっと贅沢すぎると思いますね。
織田:そうでしょうね。歌右衛門さんも「おもしろくて受ければいいわよねえ」と言ってましたけどね。
松本:笑劇としてはどうかわからないけど、祝祭性がものすごくよく出てる。あれは見事だと思うんですよ。
健康なエロティシズムも出ている。三島と歌右衛門、それに勘三郎も加えてよいかどうか、とにかく共同作業だから、
あれだけのものができたのではありませんかね。
織田:ただ三島さんという人は、照れというか、(中略)まだ若い時だし、二十九ですから、この時。「まだ
もうひとつひねりがあるんだよ」と。そのひねりが、役者にも客にも伝わらない。

織田紘二「『三島歌舞伎』の半世紀」より

155 :吾輩は名無しである:2011/10/23(日) 11:54:00.33
井上:織田さんは、三島歌舞伎全般についてどんな印象をお持ちになっていますか?
織田:(中略)やっぱり先ほどお話したように、三島さんは狂言作者を気取った最後の人だったんだなという
ことですね。それから僕は三島さんのことだけを考えるというよりも、一九六〇年代の最後から七〇年代の
劇作家の方たち、大佛次郎、舟橋聖一、宇野信夫、川口松太郎、北條秀司、村上元三というような、戦後、
歌舞伎の作品もお書きになった劇作家たちとの仕事をご一緒にやらせていただいて来たわけですが、誰とも違う。
そこが魅力ですね。
井上:そこをお聞きしたいですね。違いとはどういうことなんでしょうか。
織田:それはもう三島さん自身が十七歳の頃からずっと変わらなかった古典志向というか、自分でもお書きに
なっているように「エセ近代歌舞伎」というものをいっさい認めないという歌舞伎観をずっと通して全作品に
通低しているということ。それが同時代のどの作者とも違った道だということです。

織田紘二「『三島歌舞伎』の半世紀」より

156 :吾輩は名無しである:2011/10/23(日) 11:54:35.16
織田:たとえば宇野先生のいくつかの世話物は、近代歌舞伎の創始者といわれる六代目尾上菊五郎と共にあった。
それよりひとつ以前の岡本綺堂、三島さんは綺堂を劇作家の中でももっとも認めてなかった。でも戦後の
新作歌舞伎というのはみんな綺堂張りなんですよ。そこから最も遠いところにあろうとした。三島さんは最後の
最後まで言わずもがなで言いたくなかったんだろうけど、「擬古典」という言葉を使っていますね。だけど本当は
そうじゃない。これが正当な、歌舞伎の伝統なんだ、これこそ作者の伝統であると、実作者として証明した。
松本:だからもしも三島という台本作家が出てこなかったら、歌舞伎は変わったんじゃないかと思いますね。
三島を除いた新作歌舞伎の人たちが本流になってしまった可能性があるんじゃないか。そうなったら、歌舞伎は
グズグスになってしまったろう。三島が出現したために伝統的な本来の歌舞伎が生き残ったし、今ではかえって
そちらが強くなってるんじゃないかと僕は思っているんですけどね。

織田紘二「『三島歌舞伎』の半世紀」より

157 :吾輩は名無しである:2011/10/23(日) 11:55:05.76
織田:「三島歌舞伎」とは言っても「宇野歌舞伎」「大佛歌舞伎」とは言わないんですよ。それらとは違う別の
作品なんです。昭和三十年代というのは、書き手がいなくなってしまったことが目に見えてわかった時代ですね。
松本:そうですね。三島以外の誰にもあんなのは書けない。三島だけが書けた。
織田:書こうとも思わないしね。そうすると「三島歌舞伎」対「他の歌舞伎」なんです。三島以外の歌舞伎。
山中:戦後、新作歌舞伎と三島が、ジャンルとして対決しているということですね。
織田:そうそう。だからある意味では孤独峰なんですね、屹立している。
松本:それでいながら歌舞伎本体に深く根を届かせているわけですね。
織田:野坂昭如さんが「三島ってのはすごいよね」と。「義太夫を書ける日本人というのはああいう人しか
今いないんじゃないか」と言ってました。
山中:それは亡くなった後のことですか?
織田:いや、亡くなる前だと思います。

織田紘二「『三島歌舞伎』の半世紀」より

158 :吾輩は名無しである:2011/10/23(日) 12:02:43.12
織田:何かの時に……三島さんが「おかしいよね」と。「浄瑠璃書けるのが当たり前だよ、日本語で何かを
書こうと思ったら、謡曲や和歌を作ったり、浄瑠璃を書いたりする方が当たり前なんだ、書けない方がおかしい」と。
昭和三十年代というのは戦後の教育がそういう知識を失わせて、もはや「戦後」ではなくて「日本」がなくなった
悲劇的な時代の分岐点で、そういうものに訣別したことが「三島歌舞伎」という言葉を生んだんじゃないかと
思いますね。
(中略)百年後にもう一度日本人がこういうものを作り上げられるかと思ったらそれは大間違いです。絶対に
不可能ですね。文化の伝承、伝統は戦後教育のもとで断ち切られたという思いが三島さんにあっただけに、
かろうじてそれをどこかに求める、そういう気持ちがあの人には強かったんだと思いますね。義太夫狂言で何が
一番お好きですかと三島さんに聞いたら、「鬼一法眼三略巻」の菊畑が好きだと言ってました。何でですかと
聞いたらノリが好きだと。義太夫の三味線に合わせて乗るせりふ。(中略)あれが好きだと。

織田紘二「『三島歌舞伎』の半世紀」より

159 :吾輩は名無しである:2011/10/23(日) 18:37:46.83
織田紘二という無能を使わざるを得なかったことも、三島の自決に
大きく関わってるわなw
多分、ファルスじゃなくて、サタイアかトラジコミックかだろうと
思うが。
織田の無能のおかげで台本の完成が遅れ、三島のストレスは頂点に
達したw

160 :吾輩は名無しである:2011/10/26(水) 11:05:27.43
松本(司会):(憂国の)音楽はワーグナーの「トリスタンとイゾルデ」でしたね?
藤井:はい。
音楽の打ち合せをした時、レコードを聞きながら三島さんがストップウォッチで計るわけですよ。で、「音楽を
どこから流すんだ」、「ここから流しちゃおう」ということになりまして、(中略)麗子はこういう姿勢でいて、
こういうふうに動く……、ってありますね。そこへ音楽を同時に流すわけですよ。するとピタッと合うわけです。
井上(司会):偶然、象徴的に合うわけですね。
藤井:例えば麗子が夫の帰宅の気配に気がついて振り向いたところで、牧笛が軍隊のラッパのように聞こえるんです。
シーン15です。皆びっくりしてね。神がかりだって。「ええっ!」って素直に子供みたいに喜んだ。あれは
三島さんが芝居したんじゃないかと思ったほどでしたよ。
井上:う〜ん、可能性としてあるかもしれませんねぇ。
藤井:いや、やっぱり芝居じゃないんですよ。ある種のフロックだと思います。

藤井浩明「映画製作の現場から」より

161 :吾輩は名無しである:2011/10/26(水) 11:06:07.89
井上:能舞台のようなセットに、「トリスタンとイゾルデ」という組み合わせが独特ですね。
藤井:ワーグナーは三島さんが最初から使いたかった。
井上:外国で上演するということを意識して?
藤井:いや、そうじゃないと思いますね。あの人はね、もともと外国人に見せようなんて思っていなかった。
はじめ「16ミリでやる」と言っていたので、僕は「やるんだったら35ミリでやりましょう。一般の劇場で上映できるし、
外国の映画祭にも出せるじゃないですか」と言った。それまで三島さんはそういうことを考えてなかった。
いわゆる短いプライベートフィルムを作るのが、小説家とかいろんな人たちのあいだで当時流行っていたんです。
それがベースにあったかもしれませんが、しかし、道楽でやるんじゃないと、三島さんは最初から言っていましたね。
そこで、「あなたの原作、脚本、製作、監督、主演でなきゃ商売になりません」と言ったんですよ。三島さんも
納得してくれました。

藤井浩明「映画製作の現場から」より

162 :吾輩は名無しである:2011/10/26(水) 11:06:50.13
藤井:(憂国は)最初はブニュエルの『小間使の日記』と二本立てでしたからね。これもいい映画でした。
(中略)
山中(司会):ブニュエルと一緒にカップリングしてやるということに対して、三島が何か言っていたことは
ありますか?
藤井:いや、特にないですよ。(中略)
三島さんはね、例えば市川雷蔵の『眠狂四郎』とか勝新太郎の『座頭市』とか、高倉健の任侠ものとかとの
二本立てが出来ないか、というのが第一希望だったんですよ。「俺は芸術映画と一緒にやるというのは嫌いだ」
って言ってた。
井上:それは面白い話ですね(笑)。
藤井:この組み合わせは三島さんの意図に反しているんです。だから三島さんはATGでやりたくなかったんです。
だけど当時は二本立てが普通で、例えば『眠狂四郎』と『座頭市』をやる時に、どっちかを外して『憂国』では、
劇場が買わないんです。(中略)そうしたら、川喜多かしこさんが「洋画と組んだ方が良いんじゃないですか」と
言って下さった。

藤井浩明「映画製作の現場から」より

163 :吾輩は名無しである:2011/10/30(日) 10:02:41.77
三島が本当にゲイだと思ってる時点でただの煽りだろ。

164 :盗作ストーカー犯罪のせいで311地震と三発目自業自得原爆:2011/10/30(日) 10:06:28.93
三島ネタに反応してラノベアクタガワ作家が
荒らしてるんだな。
三島はゲイだろ。
でもオネエ津原と違って男性ホルモンがある

ストーカーの津原には男性ホルモンや行動美学や男気がない
赤坂から盗作してミエコのせいにしてるし
盗作ヤシヤシ盗作カミサマ
盗作先生ノカバン盗作七夜と
盗作ばかりしてる
キチガイ鈴木と共犯の
60エロトマニア(俺のカノジョ詐称)
ストーカーキチガイ川上弘美の盗作をミエコのせいにしている


165 :盗作ストーカー犯罪のせいで311地震と三発目自業自得原爆:2011/10/30(日) 10:08:41.24
角田(空の拳)ラノベキチガイ作家は
腐ババ子なんだろうなあ。
必死で俺のセックスネタを
角田のボクシングネタに盗用して
一人オナニーしたり、
俺のネタから女だけ消そうとしたりしてる。
で、作中で「男二人まるでコイビトみたいだ」
「デートみたいだ」「夫婦みたいだ」
とか意味なく執拗に ホモ愛好ババのコメントが
入るのが角田なんだが、全然そんなシーンないんだよな。

ランボーストーカーだろ
母音盗作してた七夜のウボボ川上弘美(津原組)と同じ



166 :盗作ストーカー犯罪のせいで311地震と三発目自業自得原爆:2011/10/30(日) 10:10:57.69
角田「伝説の人」「華がある」
とか単語負けしてるんだよね。
三島の時代にはああいうキチガイのラノベ作家が
国語オンチで賞とれなかっただろ?
今の小説家は、
ランボーストーカー(なりすまししようと必死)の犬作から
(ランボーにいやがらせ、盗作すると)
賞がもらえる仕組みなんだ

それか凡人のくせに駄作本を出してもらえる
平凡社から

167 :吾輩は名無しである:2011/10/30(日) 11:53:26.24
あんた大丈夫か?

168 :盗作ストーカー犯罪のせいで311地震と三発目自業自得原爆:2011/10/30(日) 12:36:22.75
あんたそんな「しらんがな」反論しかできないから
全員三島以下のラノベ芥川直木「盗作駄作ストーカー犯罪小説」しかかけないんだろ。
コテで書けよ、ストーカー津原

169 :吾輩は名無しである:2011/10/30(日) 22:28:24.43
藤井:話は前後しますが映画が出来た時に、三島さんが「内緒で一般のお客さんに見せてくれ」と言うんですよ。
「飲み屋のおばさんとかそこらにいるあんちゃんとかそういう人たちを集めて」って。
それでね、(中略)新宿に「十和田」という、有名な飲み屋がありましてね。(中略)女将さんと、ごく普通の
町の人たちに見せたんです。十五、六人いたかな。終わったら、女将が言うんですよ、「どうして日本の音楽を
使わなかったの?」って。(中略)そしたら、バーンスタインが東京に来た時、東宝の試写会でこっそり『憂国』を
見せたら、同じことを彼が聞くんです。「一つだけ君に質問がある」って、三島さんがいないところで私に聞いた。
「なぜワーグナーを使ったの? どうして日本の音楽を使わなかったの?」って。僕は新宿の飲み屋のおばさんを
思い出した。映画もわからないし、音楽もわからないんだけれども、巨匠と同じことを奇しくも言ったのは
不思議だなぁと。

藤井浩明「映画製作の現場から」より

170 :吾輩は名無しである:2011/10/30(日) 22:29:16.27
佐藤(司会):『憂国』という映画は、最初は漠然としたプランから始まって、ATGで大成功するまで大きく
膨らみましたね。
藤井:僕もプロとして真剣にやった。単に嬉しがって一緒になって道楽映画をやってたら、「お前何やっているんだ」
ということになって、会社を首になってますよ(笑)。スタッフも内緒で呼んだわけですからね。会社の誰も
知らなかったですよ。
(中略)
松本:(大映社長の)永田さんに叱られませんでした?
藤井:言われましたよ。「お前が今度やる時は俺にちゃんと言ってからにしろ」って。
松本:それだけで済んで良かったですね。
藤井:永田雅一は三島由紀夫の大ファンなんですよ。永田さんは学校もちゃんと出てないし、田中角栄とか
ああいうタイプなんです。(中略)二十八歳くらいで第一映画というのを作ってますが、今じゃ想像できないくらい、
才能というんですかね、それがあったんですよ。(中略)そういう永田雅一にしてみれば三島由紀夫は凄い存在。
若くしてデビューしてあれだけ売れまくった小説家というのは永田雅一にしてみれば天才だ。

藤井浩明「映画製作の現場から」より

171 :吾輩は名無しである:2011/10/30(日) 22:29:50.61
藤井:だから、別の時ですけど、市川崑さんと僕がフランスへ合作の仕事で行くことになりましてね。三島さんが
講談社の榎本昌治さんと一緒に送りに来てくれたんですよ。その時永田雅一も羽田に来ていました。僕を送りに
来たんじゃないですよ。たまたま国内線で飛ぶために羽田へ来たんです。そうしたら三島さんがいるんで、僕に
向かって、「お前のために天下の三島由紀夫が来るわけがないだろう」って言って、「三島由紀夫が何故ここへ
来てくれたか、わかっているか?」って訊ねるんですよ。「社長、送りに来てくれたんです」って答えたら、
「お前を送りに来たんじゃなくて、お前が大映の人間だから来たんだ」って。
山中:嫉妬しているわけですね(笑)。
藤井:猛烈にやきもち焼いてる。「お前、誰に月給貰っているんだ」、「あなたに貰っている」、「俺が社長を
やっている大映にいるから、三島がお前を送りに来た。だから俺に感謝しろ」って。しょうがないから、
「どうもありがとうございました」って言った(笑)。三島さんは、よく永田雅一の真似をしては、まわりを
笑わせていました。

藤井浩明「映画製作の現場から」より

172 :吾輩は名無しである:2011/11/05(土) 21:58:33.66
井上:『からっ風野郎』の時はいかがでしたか。
藤井:『からっ風野郎』の時は、講談社の榎本昌治さんが、僕に「三島の映画やらないか」と言ったんですよ。
「監督? 主演?」って訊ねたら、「馬鹿。主演だ」って言うから、「あ、そう? で、何やるの?」。そうしたら、
「何でも良い」って。(中略)
松本:映画は榎本さんの発想なんですか?
藤井:いやいや、三島さん。
松本:三島さんがそんなに望んでいたんですか?
藤井:ええ。
松本:日活の『不道徳教育講座』にちょっと出てますね。あれがきっかけですか?
藤井:いや、その前からですよ。
松本:何で三島さんは、そんなに望んでいたんでしょうね?
藤井:やっぱり映画に出たかったんじゃないですか(笑)。自分が監督するんじゃなくて、要するに、役者とか
俳優としてですね。
佐藤:その前に『鏡子の家』の映画化の話がありましたでしょう? 大映で。それがいつの間にか『からっ風野郎』の
主演の話になってきますね?

藤井浩明「映画製作の現場から」より

173 :吾輩は名無しである:2011/11/05(土) 21:59:41.38
井上:『鏡子の家』を市川崑監督でやると、「スポーツニッポン」が報じてますね。
藤井:市川崑さんが『炎上』をやりましたでしょう。傑作だと思うんですけど、市川さんもあれから三島由紀夫に
注目するようになったんです。『鏡子の家』は、雑誌「声」に冒頭部分が載った時から目をつけていて、本に
なると同時に、市川さんに話しました。やる、と言ってくれたんで、永田雅一に、三島さんが書き下ろしの大作を
出したので、市川監督でどうですかと言ったら、それ以上何んにも聞かなくて、「乗った!」って言うんですよ。
会議できめなきゃいけないのに、もうそれで決まっちゃった。そんな時に、主演の話を榎本が持ってきたんですよ。
『鏡子の家』とは関係なく。つまり、三島由紀夫原作の映画化と、三島由紀夫というスターの主演映画が、運悪く
バッティングしてしまった。それで『鏡子の家』のほうが後回しになっちゃったんです。
井上:そういうシチュエーションがあったのですか。

藤井浩明「映画製作の現場から」より

174 :吾輩は名無しである:2011/11/05(土) 22:01:05.97
松本:脚本はどうでした?
藤井:最初はね、「白坂依志夫でやろう」って言っていた。白坂は、『永すぎた春』でも脚本を書いたし、
三島さんともお互いとてもよく知っているんですよ。(中略)二人は話していて、「インテリをやりたくないん
だったら、じゃあ競馬の騎手をやろう」ってことになった。三島さんの体型って割と小柄だし、良かったんですよね。
それでね、「凄い名馬に乗る競馬の騎手が、八百長をやる話」に、三島さんも乗ったわけなんです。それで脚本を
作って、(中略)この時は重役も皆参加して本読みをやった。脚本を読むと、割とよく出来ていたんですよ。
八百長やって最後にカムバックするんですけど、ゴールインした時に死んでしまう話で三島さんにぴったり。
そしたら、永田雅一がですね、「お前何考えているんだ!」って怒り出したんですね。「俺を何だと思っているんだ。
俺は中央競馬の馬主会の会長だっ!」って。「中央競馬が八百長だって、そんなのは絶対できない!」って(笑)。
佐藤:でも、これ実現していたら良かったでしょうね。

藤井浩明「映画製作の現場から」より

175 :吾輩は名無しである:2011/11/05(土) 22:02:27.20
井上:しかし、大映の他に日活とか松竹に話は?
藤井:三島さんは、仁義のかたい人だから、そんな軽々しいことはしませんよ。だけど、三島さんは映画のために
二ヶ月もスケジュールを空けているわけですからね。それで「弱かったなぁ」と思った。「とにかく考え直そう」と
いうことになって、フッと思いついたのが、菊島隆三さんが石原裕次郎に当てて書いた脚本があったんですよ。
僕は菊島隆三と親しかったから、すぐに電話して、(中略)「どこにも売ってないですね」って念をおしたら、
「売ってない」って。(中略)そして、菊島さんのところに三島さんとすっ飛んで行って、その場で読んだんですよ、
脚本を。三島さんは「やる! これでいきましょう。」って言った。これが原型なんですよ。それをまた
増村(監督)が直したわけです。三島さんは増村が言う通りにやって良かったわけですよ。(中略)二代目だけど、
気が弱くて、腕力がなくて、組の存続も危ぶまれる、気がいい男。そういう風に全部変えちゃったわけ。あれは、
やっぱり増村の凄いところですね。

藤井浩明「映画製作の現場から」より

176 :吾輩は名無しである:2011/11/08(火) 08:56:16.80
松本:だけど、『からっ風』の三島には、どこか借りてきた猫のようなところがありますね。
藤井:その点、『人斬り』は文句のつけようかないでしょう。
松本:そうですそうです。あの存在感は見事ですね。
藤井:もうぴったりです。一本やっているからキャリアが違うっていうかな(笑)。
山中:『人斬り』の時は藤井さんがマネージャーみたいなことをなさってたんですか?
藤井:勝新太郎がまだ大映にいて、(中略)僕はその頃企画部長やっていた。勝が僕にね、「ちょっと頼みが
あるんだけどさ、三島さんに出て貰えない?」とか言うんですよ。
松本:五社監督からじゃなかったんですね。
藤井:ええ。それで「何やるの?」って聞いたら、「人斬り新兵衛だ」って言った。僕はね、一発で出ると思った、
三島さんは。だけど、少し勿体つけなきゃいけない、マネージャーとしては。そこで「勝さん、それはわかんないよ」
と言った(笑)。(中略)で、三島さんに「こういう話が来ているんですけどね」と言ったら、「俺やるよ」って、
やっぱり一発で決まった。

藤井浩明「映画製作の現場から」より

177 :吾輩は名無しである:2011/11/08(火) 08:56:43.19
藤井:三島さんは、「この田中新兵衛なら絶対にやる!」って言うんですよ。で、勝さんに、「この間、話したら、
三島さんは、やっても良いと言っているけど」と伝えたら、「会わせてくれ」って。勝もとっても喜んで
くれました。(中略)
松本:三島さんは勝さんの演技に全面的に支えられている感じですね。それが見ていて、気持ちよかった。
藤井:そうですね。それで、(中略)京都の撮影所まで行く。そうしたらね、勝新太郎がね。京都駅のホームまで
迎えに来ているんですよ。で、自分の車で、自分の運転で、都ホテルへ送ってくれて、「それじゃ、三島さん
明朝何時に撮影所で」って言う。その時、「テープにもう入れてある」って言うんですよ。三島さんの台詞と
勝の受けの台詞と両方を。次の日に行って、僕がテープを聴きますとね、勝が一々全部フォローしてくれて
いるんですよ。「ここはこう言った方が良い」とか。
佐藤:三島は、勝新太郎に随分世話になったとか、面倒見てもらったとか書いていますけど、そういうこと
だったんですね。

藤井浩明「映画製作の現場から」より

178 :吾輩は名無しである:2011/11/08(火) 08:57:10.88
藤井:それで、セットに入って、宣伝用の撮影にかかったら、当時日本で一番有名なキャメラマンの宮川一夫さんがね、
ふらっと入ってきたんですよ。「あれ宮川さんどうしたの?」って言ったら、「三島さんと君が来ているというから、
俺、応援に来たんだ」って。それで天下の宮川さんが、三島さんのメイクをチェックしてくれるんです。すると、
スタッフの気持ちが全然違ってくるんですよ。宮川さんが三島由紀夫のためにここへ来てくれている。それは
異例のことです。それでいてね、三島さんっていう人は勉強家ですから、都ホテルに戻って「明日は撮影所に
十時」とか予定を確認するでしょ。そうするとね、荷物をポンと机の上に置く。原稿用紙と『椿説弓張月』の本です。
(中略)もう撮影所へ来たんだからそっちの方へ頭が行くのかと思うと、そうじゃないんですね。夜の何時頃からに
なると、『椿説弓張月』に取りかかる。その時は『人斬り』じゃないんですよ。そして、朝起きると、また
大スターになっているんです。

藤井浩明「映画製作の現場から」より

179 :吾輩は名無しである:2011/11/08(火) 08:57:51.07
井上:たとえば昭和四十四年の六月七日は京都で『人斬り』のラッシュを見てから、帝劇に駆けつけて
『癩王のテラス』の稽古はじめをして、翌日は楯の会の六月例会です。次の九日は楯の会の活動をやって、十日は
『椿説弓張月』のスタッフ会議、こういう感じですね。動き回っている。
佐藤:切り替えと集中力が凄いですね。
藤井:凄いですね。ちょっと真似できないですよ。
佐藤:それでどうなんですか、実物は。色んな人が書いてますけど、やっぱりあたりを払うような存在感がある?
藤井:それはあるんじゃないですか。
佐藤:そういうのと、映画の銀幕に乗るのとは関係があるんでしょうか? つまり、スターと呼ばれる人は、
もうそこにいるだけで、何かオーラを発していて、それが銀幕に自然に現われるものなんですかね?
藤井:やっぱりね、三島さんは大スターなんですよ。
佐藤:『人斬り』の宣伝写真で、仲代達矢、勝新太郎、石原裕次郎と四人で並ぶけど、負けてないですね。

藤井浩明「映画製作の現場から」より

180 :吾輩は名無しである:2011/11/09(水) 09:42:25.80
松本:『からっ風野郎』の時と全然違うんじゃないですか?(中略)
藤井:全然違いますね。やっぱり一本通して主役をやると、違ってきます。それに『人斬り』のようにゲストとして
出る場合は、気が楽なんです。おまけに五社英雄さんは、増村みたいにがんがん言わない、まっしぐらには
来ないんですよ。おだてあげておいて、「はい、じゃあこのシーン行きましょう!」と。三島さんがとっても
ハッピーになったところで、バーンとやる。切腹するところでもね、三島さんはね、ボディビルで鍛えてるから、
腹筋が動くんですよ。三島さんがこう動かすでしょ。すると、スタッフが「三島さん、もういっぺんやって!」
とか言うとね、喜んじゃって、また見せてくれるんです。もうリラックスしていて、それで撮影するわけですよ。
外へ出ると、今度は「三島さん、居合いをやってよ!」と勝が言うんです。すると本気でやるんですよ。うまいんです。
そうすると勝がね、「でも、あんまり強そうじゃないな」とか「手を切らなきゃいいけどな」なんて、からかう。
僕は心配して見ているんですけど、本当にうまいんですよ。

藤井浩明「映画製作の現場から」より

181 :吾輩は名無しである:2011/11/09(水) 09:42:47.83
井上:三島は非常にご機嫌でしたね、『人斬り』のロケの時は。
藤井:それでね、五社さんが何かに書いてましたけど、名古屋かどこかにキャンペーンに行くんですよ、京都から。
佐藤:帰る時ですね。
藤井:三島さんは仕事で東京へ帰らなきゃいけない。五社さんや勝新太郎は名古屋でキャンペーンがある。で、
名古屋駅で三島さん一人を残して、「じゃあ」って別れて新幹線を降りた途端に、三島さんはこうスチールを
取り出して見るんですよ、嬉しそうな顔して。それをね、新幹線の窓の外から勝や五社が見ている。そういうところは、
何て言うんですかね、やっぱり大物なんですよ。僕らだったら、「あいつらがちょろちょろしていて見られたら
沽券にかかわるから、名古屋を発車して五分くらい経ってから見よう」なんて思いますよね。しかし三島さんは
すぐに見る。
井上:見たくなって、もう我慢できなくなって見ちゃう。
藤井:それが子供のように可愛く映ると、五社さんが書いている。

藤井浩明「映画製作の現場から」より

182 :吾輩は名無しである:2011/11/09(水) 09:43:22.64
松本:三島さんとは映画についてどんな話をなさいましたか。例えば過去の良い映画として、三島さんは
どんなものを挙げてました?
藤井:あの人はね、限りなくひどい映画ばっかり話題にするんですよ。『大アマゾンの半魚人』だとかね。
山中:新東宝とかそういうのが好きでしたからね。
松本:晩年は東映のヤクザ映画。
井上:まあ、映画は趣味娯楽として面白いものに徹していたところがありますね。
藤井:でも、本当は『大アマゾンの半魚人』で満足しているような人じゃないです。
佐藤:映画の心理描写が嫌だっていうようなことを言いますよね。カメラワークや技術で人間の心理を見せようと
するのは嫌だとか、そんなことを言ってましたね。心理ではなくて、物として見せられるかどうかが勝負だって。
三島の『潮騒』のロケ随行記がありますでしょ。あれを見ると、こういうところから三島は始まっているんだ、
(中略)一本筋が通っているのは、映画は物としての人間を見せなければ駄目だというところですね。これは
変わらないなと思いましたね。

藤井浩明「映画製作の現場から」より

183 :吾輩は名無しである:2011/11/11(金) 17:41:10.90
藤井:やっぱり基本的に言えば「映画は心理を語れない」っていうのが、よくわかっていたから。増村も同じことを
言ってますよ。
山中:増村監督もそう言いますか。勘所は通底しているんですね。
佐藤:やっぱり活字文化で育ってきた人の心理ってね、違うと思うんですよね。(中略)
井上:「映画は心理を語れない」という見方では、三島と増村には接点があったことになるでしょうか。さっき
佐藤さんが触れた藤井さんの文章で、増村の論文「原作小説とその映画化」から引用しています。「具象的な
音と画で表現できない主観的なものは、徹底的に客観的なものに転換しなければならない」。こうなんですね。
(中略)
佐藤:増村は大正十三年生れでしたね。
松本:三島と数ヶ月しか違わないわけか。だけど、『からっ風野郎』の撮影の現場では、時には刺々しいことが
あったようですね……。
藤井:刺々しいなんてものじゃないですよ。もう、罵詈雑言、凄いですよ。

藤井浩明「映画製作の現場から」より

184 :吾輩は名無しである:2011/11/11(金) 17:41:37.18
井上:凄い罵詈雑言?
藤井:ええ。それで、増村は撮影が終わった時に言うんですけどね。僕は半分本当で半分嘘だと思うのですけど、
要するに、「俺は三島さんでやろうとお前が言うからやったんじゃないか。俺は三島と東大法学部の同級生だ。
やる以上は彼に迷惑をかけちゃいけない。世間から三島由紀夫が映画の主役をやったって笑われちゃいけない。
だから、叩かなきゃいけないんだ。その叩き方も、なまじじゃとても駄目だ。芝居にならない。同じことを何回も
何回もやらせて、その良いところだけを取って、それをつないでいかなきゃならない」って言うんですよ。(中略)
そうじゃなくても増村はかなりうるさいんですからね。「三島さん、何ですか! その芝居は!」って感じで。
「三島さん、あなたのその目はなんですか? 魚の腐ったような目をしないでください!」って酷いことを言う。
スターに言っちゃいけないようなことを、バンバン言う。皆、ハラハラするんですよ。
井上:若尾文子も、気の毒でとても三島由紀夫の顔を見ることができなかった。

藤井浩明「映画製作の現場から」より

185 :吾輩は名無しである:2011/11/11(金) 17:41:59.15
藤井:若尾文子は、自分の出番がない時は、セットの隅で祈っていた。「このシーンが無事にいきますように」って。
だけど、やっぱり三島さんは偉かった。あれ、普通だったら喧嘩しますよ。
井上:そういう感じですね。
藤井:それくらいボロくそに言うんですから。「だったら俺はもう辞めた。勝手にやってくれよ」って言って
辞めればいい。だけど、三島さんは最後までやり通した。
佐藤:そうなると、三島由紀夫は『からっ風野郎』に出て、本当に良かったんですか?
藤井:いや、映画っていうのが良くわかったんじゃないですか? 凄い経験になったと思いますよ。
(中略)
佐藤:あれに出なかったら『憂国』はなかったとは思うのですよ。仮に藤井さんが話を持っていったとしても。
井上:そうですね。
藤井:やっぱり自分の好きなようにもういっぺんやってみたかったんですよ。それはわかりましたね、僕は。
三島さんも言わないけれども、『からっ風野郎』で味わおうと思って味わえなかったことを、『憂国』で自分の
好きなようにやろうとしたと思うんですよ。

藤井浩明「映画製作の現場から」より

186 :吾輩は名無しである:2011/11/11(金) 17:42:26.86
松本:『からっ風』のロケで頭を打って病院に入った時、「増村を殴って来てくれ!」って言っていたとか?
藤井:それはね、半分本気半分ふざけてそう言ったんですよ。そこらへんはもうゆとりが出て来ていたんです、
最後のシーンですから。
佐藤:でも、あれだって一週間ぐらい入院してましたでしょう? 一週間目くらいには結果がわかっているから
いいようなものの、一日目、二日目って、もう頭の中どうなっちゃっているんだろうって不安だったでしょうね。
これにはムカッともするし、とんでもないことになっちゃったみたいなことにもなったでしょう。(中略)
藤井:(中略)もろに頭を打ったわけですからね、バーンと。
井上:その瞬間は?
藤井:見ましたよ。あれは神山繁っていう文学座の役者が殺し屋で出ているんですが、「三島さんね、もっと
バーンと派手に倒れなきゃ駄目だよ」とか余計なことを言うものだから、三島さんも、「そうかな」なんて思って
バーンと倒れた。
松本:三島ってひとは素直だなあ。

藤井浩明「映画製作の現場から」より

187 :吾輩は名無しである:2011/11/16(水) 16:34:04.63
藤井:それで神山にね、僕は大分後に言ったことがあるんですよ。「あんたが余計なことを言うから」、「いや、
俺はあそこまでやるとは思わなかったから」って。
井上:実際はどのような感じだったんですか?
藤井:神山が三島さんを拳銃で、ダンと撃つ。
井上:それでエスカレーターへ倒れたんですね。
藤井:ええ。当然バーンと倒れました。エスカレーターが上がっていくから、三島さんは逆さまになって上へ
運ばれていく。本当は撮影ももっとうまくやれば良かったんですけれども。でも、あんなに派手にバーンといくとは
思わなかった。エスカレーターの段の角のぎざぎざがあるでしょ。それにバーンと頭を打ちつけた。よくあれで
済んだものですよ。僕は病院へ行ってね、「三島さんすみませんでした」とかなんとか言ったけど、黙ってましたよ。
割とムスッとしてました。
井上:不安だったんじゃないんですか?
佐藤:不安だったろうと思いますよ。

藤井浩明「映画製作の現場から」より

188 :吾輩は名無しである:2011/11/16(水) 16:34:29.46
藤井:でもまぁ、冗談も出たんでもう大丈夫と思いましたが……。
山中:撮り直しの時は怖かったでしょうね。
藤井:その時は万全な体制。で、永田雅一がそれはもう、三島さんのために現場に来たわけですから。スタッフも
ピリピリしていましたよ。二度とやっちゃいけないから。神山ももう何も言わない。三島さんも真剣っていうか
真面目なんですね。そうじゃなきゃ普通二度とやらないですよ。
松本:そういうところまで責任を貫くんですね。
藤井:映画が完成してから、三島邸に増村や僕たちが招待されたんです。その時、三島さんのお父さんが増村に
お礼を言ったんです。「下手な役者をあそこまできちんと使って頂いて」って。増村は驚いてました。けがを
させて申し訳ないと思っていたのに。帰り道、「明治生まれの男は偉い」と、お父さんをほめていましたよ。
お父さんは増村の一高の先輩なんです。

藤井浩明「映画製作の現場から」より

189 :吾輩は名無しである:2011/11/16(水) 16:34:57.49
松本:最後に、(中略)十一月二十五日をどういうふうに受け取られたか、そこをお聞きしておかないと。
藤井:(中略)十一月二十一日、夜中に帰宅したら、三島さんから「今夜どうしても電話欲しい」っていう伝言が
あった。「いくら遅くてもいいからかけてくれ」って。僕は、あの人は夜中から朝まで仕事をするって聞いて
ましたから、余程大事な用があるんじゃないかと思って電話入れたんですよ。『憂国』の話をまた始めたんです。
この間トリノでやった日本映画のシンポジウムで『憂国』が凄く評判が良かったらしいって前に僕が言って
いたものですから。そしたら、その話をもうちょっと聞かせてくれって。僕もあんまり詳しく聞いていないので、
「映画評論家で立ち会った人がいるから、その人にもうちょっと詳しく聞いておきます」て言ったんですよ。
「悪いけどそうしてくれ」って言うんです。「連休明けにその人に聞いてまた連絡します」って答えたら、
「そうして欲しい。じゃあ」って。

藤井浩明「映画製作の現場から」より

190 :吾輩は名無しである:2011/11/16(水) 16:35:39.25
藤井:でね、あの人は話が終われば「じゃあお願いしますねっ!」ってすぐ切る方です。忙しいですから。
でも、その時に限って電話を切らないんですよ。僕は勘がいいほうじゃないから、「じゃあ調べときます」って
また言って、切ろうとしたら三島さんが切らない。それで一時の間ができてね。それで、「じゃあ」って
もういっぺん言うわけですよ。そうしたら「さようなら」と言うんです。二回くらい言いましたかね。で、
電話切ってから「今夜はおかしいな」って思った。あんなに歯切れのよい人が今夜に限って、電話をなかなか
切らなくて。でも一瞬ですからね。不思議な気が直感的にしただけで、何にもわからなかったです。どうして
「さようなら」って言ったんだろう。それはおかしいなって思うけれども、疑いもしませんでしたよ。
三島さんとわたしは、映画を通じて結びつき、長くお付き合いをして頂いたのですが、映画『憂国』が最後の
会話となってしまいました。

藤井浩明「映画製作の現場から」より

191 :吾輩は名無しである:2011/11/16(水) 17:22:57.33
ちょっとウルッと来た

192 :吾輩は名無しである:2011/12/05(月) 11:19:41.27
人は、自分で自分を制するのが、一番難しい。
他人の欠点は、よく見えるが自分には甘い。他人にやさしく、自分に厳しいという人はなかなかいませんが、
先生は、そのどちらでもないです。
全ての事において他人にも厳しいが、自分にも厳しかった。
時間の使い方も、普通の人とは違っていました。これ程までに時間を大切にして生きてきた人にこれまで会った事が
ありません。
当時、四十を過ぎていた先生は、「楯の会」の二十代の若者に囲まれて、いつも元気でうれしそうでした。
大きな口を開けて、大きな声で笑い、瞳はつねにキラキラ輝いていました。筋肉いっぱいの腕を大きく広げ、
ついでに自慢の胸毛を見せながら、身体全体で、おしゃべりしていました。
それは、それは、いつでも、とても楽しそうに……。
ところが、どんなに騒いでいても、どんなに楽しそうであっても、自分で決めた時間になると、まるで今までの
ことが無かったかのように、ぴたっと人が変わって別人になる。

松浦芳子「今よみがえる 三島由紀夫」より

193 :吾輩は名無しである:2011/12/05(月) 11:20:18.42
やさしい瞳から、すべてを射るような厳しい目に一瞬にして変わる。時間をスパッと切ってしまう。
もう、そこには、誰も入れない。誰も寄せ付けない。
多くの人は時間に引きずられて、もう少し……などと時間に負けてしまうのに、先生は刀で竹を割るように
時間を切る。
何と、まぶしく男らしく映ったことか。
あの澄んだ瞳、遥か遠くに焦点があるような力強い不思議な瞳を持つ人に、私は、その後、今もって出会ったことが
ありません。
先生は、真剣に生きていらした。純粋に。ひたむきに。
まさに一瞬、一瞬を生きることを楽しんでいるかのようでした。
先生にとっては、一時、一時が美しい文学であり、人生そのものが一編の小説であったのかもしれません。

松浦芳子「今よみがえる 三島由紀夫」より

194 :吾輩は名無しである:2011/12/05(月) 11:20:44.62
(中略)
昭和44年8月の暑い夏の日、持丸との婚約のご挨拶のため、馬込の三島先生のお宅を訪問しました。
先生はにこにこされて、とても上機嫌で、溢れるような笑顔で迎えて下さいました。
先生の机の上には、いつも紺色に白鳩のデザインの、お洒落なピース缶が置かれていました。缶の蓋を開け、
指に挟んでたばこを吸うポーズをとってはいますが、先生が実際にタバコを吸って、煙を出している姿は記憶に
ありません。お洒落な紳士は、女性の前ではたばこは吸わないのかもしれません。(中略)
しばらくすると、お手伝いの方が、お茶とお菓子を運んで下さいました。
「どうぞ」
と言われて、茶器の蓋をとって、びっくり! 茶碗いっぱいに大きな櫻の花が一つ。ひらひらと花びらが揺れています。
「わあ! 綺麗!」
感激して思わず叫んでしまった私に、先生は満足そうに、にこにこと笑みをうかべてくれました。先生は、
どんなことにも真剣でしたが、この時も全身で喜んで下さいました。
私は、あの時の先生の笑顔を一生忘れる事はないでしょう。

松浦芳子「今よみがえる 三島由紀夫」より

195 :吾輩は名無しである:2011/12/05(月) 11:21:14.27
(中略)
私が、三島先生と最後にお目にかかったのは、昭和45年11月26日の夜でした。
先生が割腹されたのが、その前日、11月25日ですから不思議に思われるかもしれません。が、確かに私は
この日先生と最後の言葉を交わしました。
(中略)今でもあの日の先生の表情、声、すべて鮮明に浮かんで来ます。
衝撃の25日が過ぎた翌日、私は疲れきって、ぐっすり眠っていたのでしょうか。
その夜は、夫は研修か夜勤で留守でした。
トントンとドアを叩く音に目を覚まし、扉を開けると、そこに三島先生が立っておられました。
突然の訪問で驚きましたが、いつもの先生ではない、ただならぬ気配が伝わって来ます。
「先生どうなさったのですか?」
先生の後ろに誰かの姿があるようだ……が、誰かはわからない。
「とにかくおあがり下さい」
(中略)ともかくも座っていただいた。先生の後ろにたしかに人影があるのだが、ぼおっとして判らない。
あわててお茶の準備をしようとすると、
「すぐに遠くに出かけなければならないから、お茶はいいよ」
と言われました。

松浦芳子「今よみがえる 三島由紀夫」より

196 :吾輩は名無しである:2011/12/05(月) 11:22:58.38
とてもお急ぎの様子で、どこかに行かれる途中立ち寄った感じである。
「持丸君は?」
と聞かれましたが、夫はいない。
「今夜は、夜勤で泊りです」
と答える私に、少しがっかりされた様子でした。
「そうか……残念だなあ……じゃ芳子さんから、持丸君に伝えて欲しい。後の事はたのむと……。とにかく
後のことはたのむと、それだけは、伝えて欲しい。くれぐれもよろしく伝えて欲しい。」
「はい、わかりました。必ず伝えます」
先生は、何度も念をおされて、ほっとした様子で席を立って行かれようとする。
何故か、どうしても止めなきゃ! 不安になり
「先生! これから何処にいかれるのですか?」
とお聞きすると、振り返り、静かに深くうなずいて行ってしまわれました。
夜が明けてから、私は、ただ茫然とするばかりでした。
先生がいらっしゃったのは、夢だったのだろうか? 夢にしてはあまりにもリアル過ぎる。
確かに夫は夜勤でしたし、夢の訳がない。先生は、あの世へ旅立つ途中に寄ってくださったのだ。
とすれば先生の後ろの人影は、森田必勝であったかもしれない。
先生は、旅立ちの前に、最後の言葉を下さったと、私は今でも信じている。

松浦芳子「今よみがえる 三島由紀夫」より

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